うまいもんはうまい(高浜洋介;July 13, 2012)
昨年、蔵本祭のパンフレットに「みにくい阿波踊り」と題する文章を書いた。阿波踊りに巣食う諸問題のうち幾つかを指摘した小文である。大学祭パンフレットという媒体での小さな意見発信であったが、学内のみならず学外から多くの反響が寄せられたのは嬉しい驚きであった。とりわけ、大規模有名連に対する苦言については、阿波踊りに古くから関わってこられた方々や、その運営や報道に関係する方々を含め、各界から賛意や激励をいただいた。コメントの対象となった有名連の関係者のなかには、恫喝まがいの悪口を口にする輩もあったとのうわさも耳にしたが、指摘が当を得ていたことの証左、語るに落ちたということであろう。せっかくの楽しい阿波踊りを貶めている諸問題については、今後も様々な機会を通して大いに発信し、問題改善に協力していきたいと心を強くしている次第である。数々のご意見をお寄せいただいた学内外のみなさまに心より感謝申し上げる。
ところで、今年は「くじら」について話しを進めたい。というのも、わたしは「くじら」が大好きなのである。大西洋ニューイングランド沖で、大海を悠然と泳ぐ勇姿に感動をおぼえた経験も持つ。しかし、ここで話したいのは食材としての「くじら」、鯨肉のうまさおいしさ、である。最近ではすっかり、稀少な地方食材になってしまった「くじら」であるが、40年ぐらい前までは全国的にあたりまえの食材であった。肉から骨まで捨てるところがなく、高級料亭から動物園まで消費者は多様、極めて豊かな栄養をもつ優良食材、との高評価を誇っていた。鯨肉は、この国で長い歴史をかけて愛され育まれ、豊かに食卓をいろどってきた食材である。さまざまな部位がさまざまに調理される。ミオグロビンが多く含まれていることと関係するのか、他の陸上哺乳動物の肉とは全く異なる味と独特の食感を持つ。うまい、おいしい、すばらしい、いくつかの鯨料理を季節に応じて並べてみよう。
春は「尾の身」。なま、ようよう融けゆく薄切り。すこし生姜醤油。人気実力横綱級。
夏は「おばけ」。酢味噌、ガラスの器。しぼった手ぬぐい。うちわ、縁側、つめたいビール。
秋は「ころ」。夕日のさして、かんとだき。一切れのなか、三つ四つ、二つ三つなど、行き巡る食感。「さえずり」もまた。ぬるかん。
冬は「鹿の子」。水菜、はりはり鍋、とき卵。こたつ、一家団欒、やっぱりビール。
ほかに「赤身」の大和煮やカツ、給食の竜田揚げは定番。
番外として「ベーコン」。くじらのベーコンは、ふしぎに毒々しい食紅にふちどられ、濃厚な脂をもつ。こどもの頃は好きではなかったが、今ではまことにふさわしいビールのアテである。醤油やからしと相性がよい。おとなの味というべきだろう。
家業は鯨肉専門店であった。小学生のある日、家業は世界の敵になった。給食からくじらが消え、父は死んだ。国際社会は、灯油のために鯨を乱獲した米国に対して「伝統と文化に根ざす」としてアラスカ州での食用捕鯨を容認する一方で、「伝統と文化に根ざして」おいしくいただく日本の捕鯨を邪魔して憚らない。テロ組織による捕鯨関係者への暴力を容認するその口が、自分の好きな食材のために喜んで生物(植物であれ微生物であれ)の「いのち」を取って食べる。くじらの大切ないのちをありがたくいただく食文化は、たとえあるひとたちからは奇異にみえたとしても、伝統ある本邦の文化である。我が国の捕鯨を糾弾する者は、自らも「いのち」を摂取して日々生きている事実に感謝とともに向き合うべきであり、多様な伝統文化を尊ぶ教養を磨くべきである。
「うまいもんはうまい」とは、20年ほど前、「はや」という焼き肉屋のテレビコマーシャルで笑福亭鶴瓶が舌鼓をならしていた、あの「うまいもんはうまい」である。くじらはうまいのである。くじらのうまさを知らない方には、「是非一度お試しあれ、その味を知らずに人生を終えるのはもったいない」と申し上げたい。くじらを食べよう!うまいもんはうまい。
(後日記)
上記前文に記載のうち、たけのこ連については、本日(2012年7月24日)連長の村上氏らが来訪され、今年度からは、服装の乱れを正す、問題になっていたリヤカーを廃止する、医学部生として節度ある行動を心がける、など5項目の遵守事項について説明があった。まことに学生らしい前向きな改善策の表明であった。心より拍手を送りたい。今年の夏は大いに楽しみたまえ、たけのこ連の諸君!