みにくい阿波踊り(2011年12月改訂版;高浜洋介)

阿波踊りは徳島の宝のひとつであり、徳島県民の誇りである。その本質は先祖や同胞への尊敬と愛情の表現であり、老いを認め次世代に元気を託す受容の場である。踊る者と見る者が一体となって発露に至る情熱や、その間に垣間見える技術の冴えは、たいへん美しい。しかし私が今回ここで書きたいのは現在の阿波踊りにひそむ「みにくさ」である。ここで書く2点の「みにくさ」について正面切った文章を見る機会は多くない。しかし、おそらく多くのひとに共有される内容と思われるので、阿波踊りを愛する大学人のひとりとしてこの機会に書いておきたい。

ひとつめのみにくさは「たけのこ連」にある。特記すべき醜悪さは、重いアルコール飲料を満載にしたリヤカーを人混みに持ち込む無神経さである。大量の酒類を大きなバケツにいれ、それを積んだリヤカーをひっぱりまわす。氷水をびしゃびしゃ撒き散らしながらリヤカーを走らせる。阿波踊りが和楽器を使った芸能であり、それゆえ、水に濡れることを嫌う和楽器をおおぜいのひとが持ち歩いている特殊な数日間であることへの配慮がない。美しい伝統芸能に参加しているとの敬意に欠ける蛮行と言わざるを得ない。また、あの重量で子供を轢いてしまったらどうするのか。医学生にあるまじき想像力の欠落である。しかも搭載しているのは教員や先輩諸氏から集金したあぶく銭で購入した酒類である。集金力があるのなら酒など持ち歩かず飲食店に行け。分不相応な集金を露呈する愚行である。医学生というプライドがいつの間にか社会への甘えへと変容している。そこのけそこのけ、とリヤカーを走らせるたけのこ連こそ、現在の阿波踊りのみにくさのひとつである。そのリヤカーで取り返しのつかない事故を起こす前に、自らのみにくさに気付き、学生連としての自覚にめざめ、生まれ変わるべきである。それができないならば、さっさと解散せよ。美しい阿波踊りをこれ以上じゃましてはならない。

いまひとつのみにくさは「有名マンモス連」にある。いわゆる有力協会のいわゆる有名連のいわゆるリーダー格のいわゆる大規模連ひとつふたつである。そのみにくさは、リーダーにしかるべき品格の欠如である。大規模のマンモス連にとって、大人数であることそのものは大いに結構である。大規模なりの華やかさはよろしい。しかし、他の連に比べてとくに上手とはいえない踊りと鳴り物を冗長に続ける我が物顔はいただけない。例えば桟敷では、他の踊り連には指定時間内での通過を指示する立場にありながら自分たちは桟敷全体を独占して長ったらしい構成おどりを見せる、その尊大な姿勢こそ、ここで言うみにくさである。徳島の宝たる阿波踊りを我が物顔にしてはばからない姿勢は、観客にとっても他の踊り連にとっても辟易するばかり、迷惑千万である。県内はもちろん、国内外から阿波踊りが高い評価を得ているのは、阿波踊りのもつ美しさに対する評価である。阿波踊りを育ててきた先達に対する評価であり、受け継いだ伝統を温め芸の研鑽に精進している人たちや、それを県民や行政が一体となって支援し、市内はもとより県内全域で実に多様な踊りの場を繰り広げていることに対する評価である。阿波踊りへの高評価が有名マンモス連に対する評価であるかのような勘違いに起因するのであろうが、有名マンモス連からは、社会への甘えのなしえる傲慢さの横溢がみられる。彼らは自らのみにくさに気づき、有名連という呼称にふさわしく生まれ変わるべきである。実る稲穂が頭を垂れるように美徳をふりまくことができるようになれば、踊り連のリーダーとして内外から敬愛される日もくるかもしれない。美しい阿波踊りにすこしは貢献できるかもしれない。しかし、阿波踊りの尊大なお荷物でありつづけるならば、マンモスにふさわしい運命をたどることになる。

なお、この文章は、本年の徳島大学の学生祭のひとつ「蔵本祭パンフレット」に掲載した文章の改訂版である。美しい阿波踊りが美しくあってほしいと願って寄稿した内容である。しかし、大学祭のパンフレットに学生連についてコメントを書くのはともかく、学外の踊り連を固有名詞で挙げて「みにくい」と表現するのはよろしくないとの指摘をうけた。また、音楽技術面に関するコメントは少々趣旨が違うので別途丁寧に書くべきであると考えた。そこで今回の内容に改訂した。しかし、いわゆる有力協会のいわゆる有名連とは、県民や市民の理解と支援があってこその団体である。そのリーダー格の団体であるならば、求められる公益性は小さくない。耳障りの悪い批判であってもそれらを真摯にうけとめる器量が求められよう。大学人たる私が記名で書いた文章に応答して、私が個人的にお世話になった阿波踊り連や関連音楽グループの責任者たちに筋違いのおどしをかける愚行があったと耳にした。まことになさけない。みにくさにみにくさを上塗りするひとたちが有名マンモス連なる看板をかかげて美しい阿波踊りの伝統を担っていけるはずもない。いわゆる有力協会をはじめ阿波踊りの振興に尽力されている方々には心ある諸氏が多数おられる。リーダー格をみずから標榜する有名連から「みにくい阿波踊り」のみにくさがぬぐい去られ、美しい阿波踊りが発信される日がやってくることを楽しみにしている。

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