Division of Genome Medicine 

Dr. Toyomasa Katagiri's Laboratory

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鳴門海峡

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更新日 2017-11-04 | 作成日 2017-11-04

日々思うこと(81-)

(あくまでも、私(片桐)が個人的に思うことを綴っています. 2012. 9.26~)


(90)2020.1.30
 腱鞘炎

お風呂に入って鏡に移る自分の姿、特に、大胸筋の見事な「たれ姿」に、学生時代の面影も全くないことに打ちひしがれ、NHKの「筋肉体操」を見て、一念発起で昨年11月頃からまずは腕立て伏せを始めた。昔は、100回でも、200回でもできていたのが、10回したら、腕どころか、腹筋も筋肉痛になる始末。それでも、筋肉体操の先生の言う「筋肉は裏切らない」の言葉を信じて、できる限り毎日、朝と晩に腕立て伏せを続けたところ、かなり持続的に行うことができるようになり、少しだけパンプアップした大胸筋に少し喜びを感じていた。その矢先、右手首に違和感を感じ始め、徐々に痛みが増し、親指を内側に曲げることすらできないようになってきた。典型的な腱鞘炎の症状である。腱鞘炎は安静が第一である。しかし、筋肉も捨てられない。いろいろなところで、加齢はとまらない。。。


(89)2020.1.10
 「第3回統合的がん創薬研究クラスター合同ミーティングの開催」

2019年12月9-10日に四国大学交流プラザにて、第3回統合的がん創薬研究クラスター合同ミーティングを開催した。当研究クラスターからは、佐々木卓也先生、坂根亜由子先生、大高章先生、南川典昭先生、小暮健太朗先生、石田竜弘先生(当日欠席)、重永章先生と当研究室から吉丸、松下、私といった班員に、学外から昨年度もご参加いただいた医薬基盤・栄養・健康研究所の水口賢司先生、愛知県がんセンターの井本逸勢先生、神戸大学の島扶美教授と槇野義輝先生、的崎尚研究室の村田陽二先生も遠路お越しいただいた。さらに、今年は、神戸大学から、的崎尚教授、鈴木聡教授、愛媛大学から東山繁樹教授、東京大学から長門石曉准教授にご講演をしていただき、若手からシニアまで活発な意見交換を行うことができた。
 今回も、当研究室助教の松下洋輔が中心となり、クラスター研究の主たる目的である、若手研究者の育成と横断的研究の交流について、活発であったことは非常に有益であった。今回は最終年度での開催となり、これが一区切りとなるが、今後は是非とも、このクラスターから時期クラスタ−も見据えて、大きなプロジェクトとして立ち上げていければと思っている。
 最後に、本合同ミーティングにご参加いただきました先生方、学生の皆様、お忙しい中をありがとうございました。最後に、本ミーティングの準備、運営に非常に頑張ってくれた当研究室員,特に松下君、河上さんに感謝申し上げます。


(88)2020.1.6
 「2020年 新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。
最近は、年に4,5回程度の更新しかできておらず、気持ちも実質の時間もなかなか割くことができない毎日です。故に、ここで最近の話題も述べたいと思っております。
 昨年は3月から、医学科3年生の徳田進之助君、布目聖君の2名が研究室配属で研究室に参加となりました。参加当初は、二人ともおどおどした感じで、全く「がん」」というものも知らない状況で研究に取り組んでいましたが、日々少しずつではありますが、成長している姿も見て取れました。彼らには、一人一人に、しっかりとした研究テーマを与え、そのテーマを遂行するにあたって、結果よりも論理的に思考することの重要性を説いてきました。彼らと研究の進捗ミーティングをすると、ほとんど失敗ばかりでしたが、それがどうして起きたのか、それを解決するにはどうすればよいか、次に何を行えば良いか考えてもらいました。わずか半年少しの期間なので、当然十分なものとはなっていませんが、研究の一端は理解してもらえたのではないかと信じております。
 また、昨年10月にマレーシア人のイリ(Ili)さん、続いて11月にはインド人のユバ(Yuva)君がポスドクとして研究室に参加してくれました。ユバとは、以前私が東京大学医科学研究所に在籍していたときからの知り合いです。彼らが参加してから、論文セミナー、プログラスミーティングともに、英語での発表、Discussionとなり、国際色豊かな研究室への様変わりしました。二人とも慣れない環境ながら、毎日頑張っており、一方、研究室員も英語環境にだんだんと慣れようと努力している様が見て取れます。私自身も英語環境は久しぶりで、改めて英語の重要性を身にしみているところです。
 さらに、昨年11月には、同時期に徳島大学に赴任した岡崎拓教授が東京大学に異動されました。岡崎先生とは隣の研究室でもあり、これまで非常に仲良くさせていただいていたので、さみしくなりましたが、ここ数年の業績からすると、そろそろかなあとも思っていたので、驚きはありませんでした。二人で夜遅くまで、よもやま話をして日頃のストレスを解消もさせてもらっておりました。彼は私よりも10歳ほど若いのですが、本当に日頃から、いろいろ刺激を与えてくれました。東大でもさらにご活躍されることを心より祈っております(祈らなくても、活躍されるでしょうが。。)私も負けずに頑張らないと思うばかりです。ここ最近、かなりデータもたまってきているので、研究室員それぞれの研究において良い発表が近いうちにできるものと期待しております。
 昨年は、AMEDの革新的がん事業に採択され、抑制因子活性化を利用する「がんのペプチド創薬」の非臨床試験をスタートさせることができました。多くの先生方のご支援、ご指導によってここまで到達することができました。ここにお礼申し上げます。まだ、これに満足せずにさらに前に進めたいと思っています。
 毎年毎年のことですが、今年も心身ともに健康で、良い成果を上げられるように研究室全員で頑張っていきたいと思っています。本年もどうぞよろしくお願い致します。

(87)2019.10.22
 「吉丸哲郎君 准教授に昇進

吉丸哲郎君が2019年10月16日をもって准教授に昇進した。昇進おめでとうございます。
2009年に私の研究室に参加し、おおよそ10年間もの長い年月を本当に研究に没頭してくれました。以前にもここで述べたが、私が徳島に来て研究室を開いてからの業績の多くは彼の成果であるといっても過言ではない。改めて、ここにお礼を述べたい。
 これからは、良き研究者であることはもちろんのこと、良き指導者、そして同僚、後輩、学生からの手本となる行動をとってもらいたい。悩み多き若い世代に、積極的に声をかけ、そしてアドバイスをあげてほしい。そして、今さらに大きな成果となるデータも蓄積してきている。これをまとめて、華々しく公表し、そして、近い将来、自ら研究を先導する者になることを願ってやまない。


(86)2019. 10. 18
 「論文受理」

この度、木村竜一朗君、吉丸哲郎君、松下洋輔君の3人を筆頭筆者とする論文が「International Journal of Oncology」に受理されました。おめでとうございます。
本プロジェクトは元々松尾泰佑君(現岩手医大)が「乳がん特異的糖転移酵素GALNT6の細胞増殖促進機構の解明を目的に、新規基質タンパク質のスクリーングを進めてきたものの1つとして、分泌糖タンパク質であるLGAL3BPを同定したものです。その後、このプロジェクトを引き継いだ木村竜一朗君(現近畿大学医学部)が分泌、増殖促進に関わる糖鎖修飾部位の同定し、さらに、その後、当研究室の吉丸哲郎君と松下洋輔君がその分子機構の解明の最終的段階をまとめ、論文とした合作です。これまでの皆さんの努力に感謝申し上げます。
 毎回述べる言葉ですが、これに満足せず、さらに発展することを期待しています。 本研究に多大なるご支援、ご指導を賜りました共同研究の先生方、中村祐輔先生、朴在賢先生、尾野雅哉先生、笹三徳先生、三好康雄先生に心よりお礼申し上げます。


(85)2019. 2 . 24
 法則シリーズ「行列の待ち時間推定の法則」

高松にたまに行って本場の「讃岐うどん」を食べるのだが、昨今「讃岐うどん」も有名となり、日曜日や祝祭日ともなると有名店では行列ができている。うどんを食べるのはだれもそんなに時間を要さないので、店の外まで長い行列ができていても「少々待ってもよいか」と思って並ぼうと思うものだが、うどん以外の飲食や買い物などにおいて、行列ができていると、「そこまでして並びたくない」という気持ちが起きるのは誰もだと思う。
 そこで、「リトルの法則」という法則があることを数年前に知った。非常に便利な法則で、行列にて、おおよそあと何分ぐらい待てば良いかがわかるというものである。私はこの法則を活用してその行列に並ぶか並ばないかを決めている。
 非常に簡単な計算で、まず自分が行列の最後尾に並んだとして、その前に何名並んでいるかを数える。次に、1分間に自分の後ろに何人並ぶかを数える。そして、自分の前に並んでいる人数を1分間に自分の後ろに並んだ人数で割り算をしたのが待ち時間(何分間)となる。
 例えば、うどん店のレジまで30人並んでいたとして、その最後尾から1分間に5人並んできたら、ここの行列の待ち時間は6分間となる。30人も並んでいるのを見ると、「ゲッ。こんな待つの無理!」と思って、あきらめかけるが、わずか6分間の待ち時間となるとそれぐらいなら待とうという気持ちになるものである。
 先日、研究費のヒアリングがあったので、身なりを整える意味で靴磨きをしてもらった。その靴磨き屋はテレビにも出ているほど有名だったので、行列ができていた。椅子席が5つ、それから3人ほど並んでいたので、総数8名並んでいた。最後尾に並んで、私の後ろに1名に並ぶのに5分ほどかかったので、8÷0.2=40分間と推測した。有名店だし、40分だったらいいかと思って待っていたら、靴磨き職人4名がおのおのランチを順番に取りはじめたので計算があわずに、1時間以上も待つはめに。。。「リトルの法則」の条件としては、処理側が安定していることがあげられる。。


(84)2019. 2 . 9
「統合的がん創薬研究クラスター合同ミーティングの開催」

2019年2月4-5日に淡路夢舞台国際会議場にて、統合的がん創薬研究クラスター合同ミーティングを開催した。昨年度に続き2回目となる。今回は、当研究クラスター(佐々木卓也先生、坂根亜由子先生と吉丸哲郎、松下洋輔、片桐)と、昨年度まで薬学部の大高章教授、南川典昭教授、小暮健太朗教授、石田竜弘教授、重永章講師の構成員からなる「中分子創薬クラスター」と合併統一しての合同ミーティングである。学外施設としても、昨年度も参画していただいていた医薬基盤・栄養・健康研究所の水口賢司先生、がん研究センター尾野雅哉先生(今回はご都合で不参加)、愛知県がんセンターの井本逸勢先生に加えて、神戸大学から島扶美教授と槇野義輝先生、的崎尚教授の研究室准教授の村田陽二先生、そして、企業からメスキュージェナシス、コスモバイオのご参加となり、総勢40名を超える方々との異分野交流を持つことができた。特に、クラスター研究の主たる目的でもある、若手研究者の育成と横断的研究の交流について、当研究室助教の松下洋輔が中心となり、本ミーティングの運営、発表の進行,質疑応答において、積極的な学内外の学生、若手研究者の交流がなされたことは非常に有益であった。今後は是非とも実質的な共同研究、研究交流、技術交流を促進したい。そして、このクラスター班から大きな成果があがり、がん創薬へと発展できることを期待してやまない。
 本合同ミーティングにご参加いただきました先生方、学生の皆様、お忙しい中をありがとうございました。最後に、本ミーティングの準備、運営に非常に頑張ってくれた当研究室員に感謝申し上げます。


(83)2019. 1 . 14
 「家電を見て、痛感する自分の時代遅れ

掃除機が壊れたので、久しぶりに家電量販店に行った。家電を見るのは非常に楽しい。その理由は、これまで見たことない、最新の技術が詰まった製品を目にできることである。その技術力の高さはもちろんのこと、最近では「かゆいところに手が届く、細やかさ、使いやすさ」を追求している。私も含めて来店している客のほとんどが、何かしら見て「すごいなあ」と言う言葉を発している。今回、掃除機を買うことを目的として来店したのだが、掃除機以外の家電、特に、古くなった家電の最新機種を見てきた。
 そこで、一考。今回の掃除機もそうだが、今家にある家電は、10年近く、またはそれ以上前に買ったものがほとんどで、特に、冷蔵庫に関していえば、留学から戻ってきてから購入していないので、かれこれ19年にもなる。このことは、一旦目的とした家電を購入してしまうと(最新機種を購入するかどうかは別として)、それからおおよそ壊れるまで、実際には10年以上もの間、その手の家電の開発情報に興味がなくなり、触れることも無くなるので、現在どれくらい世の中の技術が発展しているかわからない(わかろうともしない)こととなる。10年も前の製品と比較するのだから、そりゃー、驚くのは当たり前で、改めて自分が非常に時代遅れであることを痛感した。
 たまに、テレビで最新の家電のCMを目にはするのだが、実際に、製品を手に取るとそれはそれは、その技術の高さに驚愕した。ダイソン社の掃除機の吸引力はすごいと聞いてはいたが、実際、本当にすごかった。紙パック式、サイクンロン方式、コードレス、スティックタイプなどなど、細やかな気配り満載であった。ただ、これほどまでに開発されると、どれを選べば良いのか一苦労であることは、また違う悩みとなったのだが。
 購入目的がなくても、たまには電気屋さんに行って、最新技術に触れることも必要かと思った次第である。


(82)2019. 1 . 4
 「2019年 新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。今年も無事に新しい年を迎えることができました。
 更新を長らく怠っており、幾人の方々から「更新しないの?」とのご要望?もあり、久しぶりに書き込みをしました。毎年述べていることですが、この年齢になると、本当に1年経過するのが早く感じます。以前、ジャネーの法則のことを述べましたが(2013.1.10)、年々、加速しているように感じています。これは、仕事の範囲も量も圧倒的に増えていることも要因で有り、ここに書き込みをしなくなってきたのも、その余裕がなくなっていることからかと思います。「選択と集中」をしなければなりません。
 昨年で研究室を立ち上げて10年となりました。毎年、良い成果をあげることを目標にあげていつつ、まだまだ満足のいくものにはなっていませんが、現在、非常に少ない人数ではありながら、みんな精力的に取り組んでくれています。それぞれの研究において良い成果の芽がでてきているので、近いうちに発表できるものと期待しております。
 昨年1年は私にとって、公私ともにいろいろあり、自分の人生を考えるよい機会にもなりました。残りの研究人生を考えると、これからおおよそ10年間がラストスパートとなります。これまでの10年間の経験、成果を糧に、もう少し花を咲かせることができればと気を引き締めております。今年のテーマは、「がん創薬の開発」はもちろんですが、「がん発症・進展機構における既成概念への挑戦」も掲げたいと思っています。
 昨年で研究室創立10年経過したと言うことで、一度、研究室OBにも声をかけて10周年記念会を開催したいと思っておりましたが、このままだと日々の忙しさに埋もれて15周年記念会でいいかと、企画倒れになりそうです。そうとはいいつつ、長らく会っていない方々もおられますし、私も、そして研究室員も旧交を温めたいと思いますので、できれば開催したいなあと考えています。その際には、皆さんよろしくお願い申し上げます。
 この言葉も毎年ですが、今年も心身ともに健康に留意して、これまで以上の成果を上げられるように研究室全員で協力して頑張っていきたいと思っています。本年もどうぞよろしくお願い致します。


(81)2018. 2 . 21
 「論文受理

泌尿器科分野から当研究室に研究留学に来ていた大豆本圭先生の論文がこの度はCancer Research誌に受理されました。大豆本先生おめでとうございます。苦節?年、日夜問わず実験を行い、本当によく頑張ってくれました。今、Cancer Reseach誌はIF=9.122となり、非常にacceptされるのが難しいjournalとなっています。内容的にも、腎細胞癌において証明したDDX31による正常型p53の不活化機構の解明につづき、p53変異の多い浸潤性膀胱がんでのDDX31による機構獲得型p53変異の制御とEGFR活性化への関与による多段階悪性化を証明したものです。DDX31を標的とした治療薬開発の可能性も大きくあり、今後の研究に期待できます。本研究は、徳島大学泌尿器科学分野教授、金山博臣博士、国立がん研究センターユニット長 尾野雅哉博士、徳島大学病院病理教授 上原久典博士との共同研究による成果です。多大なるご支援、ご指導を賜りましたことお礼申し上げます。

(71-80)


(80)2018. 1 . 8
 「2018年 新年のご挨拶

新年明けましておめでとうございます。本当に、毎年、毎年繰り返して述べる挨拶ですが、今年も無事に新しい年を迎えることができました。今年は、この9月で、徳島で研究室を立ち上げて丸10年となります。まだまだ、十分な成果をあげているとはいえませんが、これまで、同じ釜の飯を食べた(食べている)研究室員の方々には本当にお世話になりました。心よりお礼申し上げます。また、共同研究にてご支援、ご指導いただきました多くの先生方にも感謝申し上げます。私もですが、研究室員もこれまで大きな病気もなく、元気に新たしい年を迎えることができたことに感謝をしつつ、今年も健康に留意して、これまで以上の成果を上げられるように頑張っていきたいと思っています。本年もどうぞよろしくお願い致します。

(79)2017. 12. 23
「涙もろい 」

年をとると感情の起伏がそれほど大きくはなくなってくるのかと思っていたが、非常に涙もろくなっていることを昨今自覚する。もともと感動しやすい性質であるのだが、最近は、スポーツ観戦したり、昔の音楽を耳にしても涙することがある。しかし、先日、あけぼの会主催の乳がん講演会で話をする機会をいただいたのだが、その最中に感極まってしゃべれなくなることがあった。実は、私は高校の同級生の親友を20代の若さで失っているのだが、このことが少なからず、私の今の研究者として進むきっかけともなっている。あけぼの会での講演も今年で徳島にきてから8回目となったこともあり、自分がどうしてがん研究をすることなったのかを話の導入部分で説明することを思いたち、当日、この話をしたのだが、その際にその頃のことが走馬灯のように浮かび、声がうわずり言葉がでなくなった。非常に気恥ずかしく、また患者さんの前でこのような姿を見せることはあってはならないと反省している。ただ、研究者にとって、研究遂行のためのモチベーションは人それぞれであり、特にがんを対象として研究に従事している人の中には、私のような体験をもっていることも少なくない。この思いは、たとえ涙もろくなっても、表に出さずとも、いつまでは忘れないでいたい。しかし、この年齢ともに「老化」していくことで、この「涙もろさ」が増加(ひとによっては減少)することは科学的に解明されているのだろうか。


(78)2017. 4. 25
「ウインカーを出さない県 」

以前にもここで取り上げたことがあるが、車を運転していて、「ウインカーを出さない、もしくは曲がる直線で出す(曲がりながら出す)」人が多いことは、今もなお感じていることだが、先日ネットにて「ウインカーを出さない県はどこ?」という記事が載っていた。少なくとも大都市に住んでいた頃は、このような印象がなかったので、徳島もかなり上位ではないかと思っていたのだが、第1位岡山県、第2位香川県で、第3位はやはり徳島県であった。2,3位の県は住んだこともあり、なんとなく納得はするのだが、驚くのは岡山県で、県内でもこのことがかなり意識されているようで、ウインカーを出すことを促す印(星マーク)が道路上に書かれているそうである。それも、左折、右折のマークを同じように・・・。
 この理由の1つに、県民性があるとのことも述べられていた。にわかには信じがたいが、「主張するのが苦手である」とのこと。信号待ちしている間に、前の車がウインカーを全くウインカーを点滅させず、曲がる直前で出しているのをよく目にするが、これはぼっとして忘れているのかとも思っていたこともあるが、実際にはウインカーを出して待っているのが恥ずかしいのだろうか。確かに、自転車に乗っている時を考えると、右左に曲がるときに、どちらに曲がるのかの表示に腕をあげて示すことがあるが、案外これは恥ずかしいのか、みんなやらない。この感覚なのだろうか?
 しかし、車でのウインカーの表示は事故を未然に防ぐ(周りのドライバーにも曲がる方向(直進するか)を認識させる)効果もあり、さらに車の通行をスムーズにする効果がある。これらのことによって渋滞の回避から、気持ちもいらいらしなくなり、事故を防ぐことに繋がると思う。しかし、岡山では、ウインカーを出さなければならないことを警察官らが注意をすると、「何故出さないといけないのか」という回答があるとも書かれていた。ちょっと信じがたいのだが、なんとか高い意識をもって改善していただけ無いものかかとつくづく思う。

(77)2017. 4. 11
「論文受理 」

この度、吉丸哲郎君を筆頭筆者とする論文が「Nature Communications」と「Scientific Reports」に続けて受理されました。吉丸君、おめでとうございます。特に、「Nature Communications」の論文は、投稿をはじめたのが昨年9月末でしたので、半年以上かかりました。まだ、受理の連絡があったばかりで、中身を詳細に述べることができませんが、徳島に赴任してきてから一貫して進めてきたプロジェクトで、標的分子 BIG3の同定、機能解明から創薬まで進めてきたものです。全く未知の分子であったBIG3をここまで解明できたのも、吉丸君を主として研究室員の頑張りのおかげです。ここに感謝申し上げます。まだわからないことも多いのですが、さらにデータは出てきていることですので、さらに発展できることを期待しています。
 本研究は、多くの共同研究の先生方のご指導、ご支援があってまとめることができました。国立がん研究センター尾野雅哉先生には解析のキーともなる結合分子の同定、機能解析のご支援、ご指導をいただきました。とくしまブレストケアクリニック院長笹三徳先生、兵庫医科大学教授三好康雄先生、徳島東病院本田純子先生にはこの分子を手がけた当初から、乳がん臨床検体をご恵与、臨床からの見地についてご指導、ご支援いただきました。宮城県がんセンター島礼先生には、BIG3機能解析について詳細にご指導いただきました。薬学部の大高章先生、粟飯原圭佑さん(現大塚製薬)には、ペプチドを用いたBIG3標的創薬の可能性を大きく展開していただきました。医薬基盤研の水口先生、Chen先生には、BIG3解析当初より、insilico解析の見地からBIG3機能を解き明かすためのブレークスルー的な解析を多く手がけていただきました。徳島大学病理部、坂東良美先生、泉啓介先生、名古屋大学豊國先生、岡崎先生には病理学的な見地からご指導いただきました。徳島大学人類遺伝学井本逸勢先生には、普段から励ましのお声をかけていただき、特に今回は統計解析にてご指導いただきました。このように、本研究が私たちだけでは成し遂げられなかったことであり、多くの先生方のご指導あっての成果であることを今更ながらに実感しています。心よりお礼申し上げます。今後も皆様にご指導頂ながら、さらに精進して頑張りたいと思います。よろしくお願い申し上げます。


(76)2017. 4 .1
 「新体制 」

この度、特任助教の木村竜一朗君が平成29年3月31日付けで退職し、近畿大学医学部病理部へ異動しました。まだ、道半ばのことでもあるのですが、BIG3の機能解析および糖転移酵酵素の機能解析を手がけ、近いうちに論文として世に出せるところまで頑張ってくれました。もう少しデータ必要なところもあり、現有メンバーの支援にて、良い成果にまとめたいと思っています。木村君の新天地での活躍を祈っています。この4月1日からは研究室員が少なくなりましたが、研究室を立ち上げた当初を思い出し、「少数精鋭」の気持ちを忘れずに頑張りたいと思います。


(75)2017. 2 . 6
 「あけぼの会

今年も、2月5日に「あけぼの会徳島支部」の新年会に参加してきた。徳島に来てから毎年参加させていただき、患者さんと直接接する機会をいただいている。参加されている方は乳癌に罹患されて間もない方から、20年以上経過している方もおられ、それぞれの方々のご経験がそれぞれの方々の励み、希望となり、さらに患者さん同士の情報共有による日々の悩みの解消にも役立っているとのことである。私など研究者という立場からでしかものを言えないが、皆さん立場を理解していただけ、さらに将来の研究開発を見守っていただき、皆さん非常に寛容であることにいつも感心、そして反対に助けられている。お話しをした方には、話しにくいこともあるとは思うが、「治療をうけていて何がしんどいですか」などお聞きしているのだが、やはり「治療法がない」と言われることが一番きついとのことや、Her2タイプと診断を受けた方は、ホルモン療法をしないので、長く服用することによる副作用がなく、楽であったとのこともお聞きした。このようなお話しを聞くにつれ、なんとか、患者さんのためになる研究を届けれるようにと思っているが、なかなか研究を認めてくれないことなど、困難も多い。これにめげずに精進しなければと思うばかりである。


(74)2017. 1 . 4
 「2017年新年を迎え初心に戻る

毎年恒例のつぶやきとなっているが、1年経つのが本当に早い。ここ数年で昨年1年間は最も早く感じたようにも思える。そう考えていると、2008年の9月に徳島に来てから早9年以上も経過したこととなる。一つの場所に滞在していた期間の長さとしては、東京に次いで2番目となった。ようやく研究の方向性は確立してきた感はあるが、まだまだ十分に成果を上げられているわけではない。この「日々思うこと」の初回に述べた「途方もない大きな夢をもちつづけ、それを達成するための地道な努力を忘れずに」という初心に戻り、10年の節目となる今年は、がんがん成果あげて、その喜びを研究室員と、そしてこれまでに研究に尽力してくれた研究室OBとも分かち合えるように頑張りたい。


(72)2016. 11 . 2
 「思いがけない日常

健康増進のため、出勤時のウォーキングをしていることは以前述べたが、歩いている道すがら周囲を見渡すと意外なことに気づく。例えば、徳島大学蔵本キャンパス近くにあるJR蔵本駅の北側に、「蔵本城」が存在していたことに最近気がついた。現在は城の遺跡はなく、立て札があるだけだが、「蔵本城は戦国時代に建てられた田宮川を外濠とした平城」との説明書きがあった。このような小さな地域にもお城があったこと、またそれらのほとんどはほぼ消失していることに改めて驚いている。また、蔵本公園を歩いていると、公衆トイレを毎朝丁寧に掃除している方々を見かける。ボランティアなのか、それとも市の職員なのかわからないが、このような方々のおかげで気持ちよく利用できることがわかる。普段見過ごすこともゆっくりと歩くと気づくことも多い。
 また、先日も述べたが、私の通勤コースは信号のない裏道で、通勤時間帯には非常に多くの車の往来があり、その車のスピードには改めて驚いているのだが、歩行者側もイヤホンをしながら、またスマホをいじりながら自転車を運転している方が多く、その危うさに目を覆いたくなる。現代社会は便利さ=時間の短縮となり、より多くの事象を知りうるようになった。しかしながら、多くのものを知りうることができた裏には、多くのことを見逃し、記憶にも残らないことが多くなってきていることやその便利さが故の危うさの増加にも気づいた次第である。


(71)2016. 9 . 9
 「礼に始まり礼に終わる

柔道をはじめとした武道においてよく使われる言葉である。私も少しは柔道をかじっていたので、この精神論は非常に理解でき、実際に身についていると思う。日常においても挨拶が重要であることは、研究室員にも伝えており、実際に朝の挨拶を励行している。柔道では、試合会場に入る際に一礼、その後、開始位置(相手と向かいあって試合開始する位置)まで進み、その後一礼して、一歩前に出て、試合開始となる。試合が終わると、開始線から一歩前に出た位置に戻り、そこで主審の判定を聞き、その後一歩後ろに下がり、一礼をして退く。これが日本柔道(講道館柔道)にて、最初に習う礼儀作法である。当然、JUDOとして世界のスポーツの1つとなった現在では、武道という枠組みからはずれていることも多くみかけるのだが、この礼に加えて、試合終了後は握手やハグなどが行われたりもする。しかし基本的には、国際審判員はこの礼法の所作をするよう選手に開始、終了後に指導しているようであった。この精神は、戦闘(試合)をはじめる前に対戦相手を敬い、そして、戦闘後にも相手を思いやる精神からの所作である。ただ、敗者はその感情からこれらの所作が乱れ、一方、勝者もガッツポーズをして喜び、この礼を失念している姿も多く見かける。
 日曜日の朝のある番組のスポーツコーナーにて有名な高齢の元プロ野球選手が、オリンピックにて卓球の水谷隼選手が中国の選手に勝利した瞬間、大きく腕を上げて、転げるようにして喜びを表していたことに、「相手を敬う気持ちがない」と「喝」を入れていた。柔道関係者をはじめ、武道関係者は上述の精神論から、このことを理解できる方もいるかとは思う。しかしながら、各スポーツの性質やそもそも武道が起源でもないスポーツにおける精神論は各競技によって異なるだろうし、一概にこのことをあてはめることはできない。また、ガッツポーズも相手を挑発することが目的ではなく、自分への鼓舞のため、念願かなっての勝利への気持ちが爆発したこと、特に、オリンピックという4年一度の舞台で、競技によってはわずか数秒から数時間程度の試合に込められた気持ちが、試合終了ともに表れるのは仕方のないことであろう。特に、卓球では、国技である中国の存在は大きく、それに勝利した際の感極まる気持ちを考えれば、気持ちがあふれ出るのは理解できるし、ましてオリンピックに出るトップクラスの選手が相手を侮辱するためにそのようなポーズをするはずもない。一方、プロ野球は年間を通して争われるために、毎試合で勝敗に対する喜びや悔しい気持ちがあれど、ある程度リセットできるだろうが、年間を通しての優勝を決する際には、当然それまでの苦労など、たまっていたものが現れて、優勝後の胴上げや優勝祝賀会でビールかけを行っているのもよく理解できる。まして、4年に一度のオリンピックは特別で有り、ほとんどの競技者が、ピークを迎えて参加できるのは一度くらいではないだろうか。そのオリンピックまでに精進した月日を思えば、勝利の際には誰もが素直に喜ぶことができるように、そして敗者にも拍手を送るべきであり、敗者への思いやりを勝利者だけに強いることなく、その競技者のここまでかけてきた思いに、観客を含めて誰もが賛美することができるようになることを思うばかりである。

(61-70)


(70)2016. 9 . 5
 「想像力の欠如からうまれる恐怖

私はオリンピックが大好きである。以前からここでも述べている「超人」と呼ばれる方々のなす技にいつも感嘆し、酔いしれている。今回も数々のオリンピアンの超人的な技に感動を覚えたのだが、4年に一度という彼らにとって非常に過酷なものが、私のような見る側のものからすると、さらにそれを際立たせることになっている。
 本日は、今朝目の前で起きた戦慄の事故について述べたい。まだ台風の残していったどんよりとした雲の多い朝であったが、最近サボっていたウォーキングを再度始めようと、少し早めに家を出た。私の家の近くの道は非常に狭いのだが、抜け道となっており、通勤時は非常に多くの車が往来する。普段から、たまにハイスピードで走り抜ける車を見て、そのたびに事故がおきないか、ヒトをはねたりしたらどうするのだろうと危惧はしていたのだが、今朝はその危惧が現実のものとなった。眼前の信号機のない四つ角を右方向から一瞬の停止もなく、今まで見たこともないような猛スピードで走り抜ける車があり、それをみて戦慄が走ったがのだが、さらにもう一台車が猛スピードで追いかけるように走り抜けようとした瞬間、その4つ角をおそるおそるゆっくりと進入してきた自転車に乗る女子中学生をはねたのだ。「あっ」と叫んだその瞬間には、女の子は自転車からボンネットに跳ね上げられていた。車は急ブレーキでとまり、女子中学生はその車の前にころげ落ちた。あまりのことに私も駆け寄ったが、「痛い」といって泣いている女の子に、車から降りてきた若い男性は「大丈夫、どこが痛い」と声をかけたのはよいが、「私は医者だから」と答えていた。私を含め、周りにいた方々が救急車が先だろうと電話してくれたが、医者ならなおさら、このようなことがおきるかもしれない交差点を猛スピードで走り抜けることなどあり得ないことは分かるだろう。事故により傷つくヒトがいるかもしれないという全くの想像力の欠如に唖然とし、怒りさえ覚えた。これがもし自分の身内だったら、どうしていただろう。地面に座り、震えて泣いている女の子に、その後寄り添うわけでもなく、呆然としているこの若い自称医師は、この女子の身体の傷以上に心に傷を負わせたことをなんと思うのだろうか。幸い見た目ではあるが、頭部などへの影響はなさそうではあったが、しばらくして救急車が到着し、女の子をのせた後に、少し遅れて到着した警察官が私たちに、「加害者はどこ?」と尋ねてきた。このような想像力の欠如から生まれた事故が一瞬にして、「加害者」と「被害者」という呼び方に変わってしまったことに恐怖を感じた。私も今は車を運転することから、少しの不注意で交通事故は起こるかもしれないことではあるので、全てを非難することはできないが、通勤時間中に狭い道を猛スピードで交差点を走り抜けるとこのようなことがおきるかもしれないという想像力を働かせることによって、この「加害者」になることは避けられただろうし、また、誰しもが「被害者」になることも大いにあることからも、被害者の女の子には申し訳ないが、教訓となった恐怖体験であった。


(69)2016. 5 . 17
 「痒いところに手が届く

スポーツ観戦をするとこのフレーズがぴったりと思う場面がある。このフレーズは、日本人特有の「心遣い」と思っていたが、外国、それもテニスの大会でこの言葉が適切と思われることをよく目にする。テニスの大会では、プレーをスムーズに進行するために、「ボールガール(ボーイ)」と呼ばれる方々がコート上に何人も配置されている。プレーの度に全速力で走ってボールを追いかけ、迅速に回収しているのをみる。ボールの回収以外にも、選手の汗を拭くためのタオルを選手の要望に応じてさっと渡すことや、さらに、汗を拭き終わるまでそばに立って待ち、拭き終わったタオルもそこらに置くだけでなく、乾燥するように広げて所定の場所(椅子など)に置いている様子や、選手がサーブする際のボールをいつでも渡せるようにボールを高々と上げて準備している様子、さらにインプレーの休憩中には、いすに座っている選手の頭上に傘を広げて日よけ(雨よけ)をし、必要とあらばスポーツドリンク、新たなタオルなどを持参する。ボールの回収に関しても最短距離を走り、回収後も最も近い所定の位置に戻ってプレーをできるかぎり中断すること無いように配慮している。テニスは2,3時間はざらにかかるので、その間ずっとプレーに集中しなければならないが、それに関わらず、プレー中ずっと選手が何を欲しているのかをうかがっている様子を見る。
 有名なテニスプレーヤーであるラファエル・ナダル選手は、休憩中に自分の座っている足下にドリンクのペットボトルを立てるというジンクスに似たルーティンをするそうだが、ある時そのペットボトルが倒れていたことに気づたボールボーイが、コートを横切ってドリンクを立てにいったというのを見たことがある。ナダルがそれに見て笑っていたが、後のインタビューで感謝していた。おそらく、テニス同様に、どのスポーツにも裏方となって支えている方々の心遣い無しにはなりたたないことで、それは選手が一番感じているのでないだろうか。
 当然、日本にはこのような文化や慣習が根付いており、スポーツ以外の普段何気ない生活から、心遣いは少なからずみんな持ってはいると思う(そう思いたい)。私たちのような研究者においても、狭い中ではあるが、こういった心遣いが人間関係も潤滑にし、そして何よりも笑顔を生み、争い事もすくなり、大きな困難も克服できることになるように思える。ただ、受ける側はこれが当たり前となって、横柄になることがないようにはしなければならないが。


(68)2016. 5 . 10
 「何気に思ったこと4 〜スポーツの静寂性〜

何気に、久しぶりにプロ野球をみていたら、先日のテニスとは全く違ってインプレー中ずっと観客席が非常に騒がしいことに気がついた。これまではこのようなことには余りに気にしなかったのだが、ピッチャーが投げ、バッターが打ち、ランナーが走るなど、ひとときも静かになることなく、かねや太鼓、そして大きな叫びも入り乱れている状況であった。こんなにスポーツによって「静寂性」の違いがあるとは。プロ野球においては、この状況でもピッチャーもバッターもその騒々しさにも全く気にすることなく、プレーしていた。よく考えると、サッカーにおいてはもっと騒々しく、チアホーンが吹き鳴らされていることもある。以前、無観客試合ということがあったことを記憶しているが、このとき、選手はこの「静寂」を、プレーをやりづらいと述べていた(もちろん、選手のモチベーションにも影響するだろうが)。一方、テニス以外では、ゴルフもプレーの最中の静寂は必須で有り、話をすることすら許されておらず、マナー違反を問われる。このスポーツ観戦の違いは何によるのだろうか。陸上なども跳躍系の競技以外で、特に短距離のスタートには非常に静寂を求める。このような陸上や水泳のようなタイムを争うスポーツではスタートの合図を聞く必要があるので、静寂はある意味あたりまえで、その競技の性質が大きな要因であるとは思うが、それだけではないようにも思える。そもそも観客がいることが必然となっている現代スポーツとしては、どちらがもっともであるかはわからないが、静寂の中あるいは、喧騒の中で行うプレーのどちらの方が集中しているのだろうか。非常に興味深い。


(67)2016. 5 . 7
 「何気に思ったこと3 〜かけ声のタイミング〜

何気に、先日、私の好きなテニスプレーヤーである錦織選手のテニスの試合をテレビ観戦しているときに気づいたのだが、得点が決まった後に観客席から叫びにも似た大きな声が放たれることがあった。テニスでは、得点が決まった後の拍手や手拍子がおきることはあるが、選手がサーブをするときにはぴたっとおさまるように、プレー中は会場内は静寂が暗黙のルールとなっているようである。このような中、たまにプレーが盛り上がった内容であると、観客がざわめき、なかなかおさまらない場合には主審が「静粛にしてください」とお願いすることもある。しかし、その中、選手がサーブをするぎりぎりにも関わらず、非常に大きな叫び声(応援?のかけ声だと思うが、聞き取れない)をあげるヒトがあり、錦織選手もその声が気になって、プレーを中断することがたまにあった。実際、これをみて思ったのだが、もし自分が会場で観戦していたら、いくら応援している選手(もしくは、対戦相手)だからと言って、このようなかけ声をかけるだろうか?と。それもサーブぎりぎりの時になってまで、私には大きな声をかける勇気がそもそもない。そんなことしたら、選手ににらまれる、また周りの人にもにらまれるし、それでミスでもしたら大変なことになると思ってしまうのは私だけであろうか。

テニスの観客のマナーには、プレー中の観客の席の移動も厳禁のようである。席を立って移動しているヒトがいるとテレビで映されていることもあり、その際にプレーヤーも少しいらだっている場面もみうける。選手が十分なプレーができるように観客もマナーを知る必要があることがわかる。


(66)2016. 4 . 30
 「岩手医大での講義

熊本を中心とした地域に甚大な被害を及ぼした大地震のニュースを聞く度に胸が締め付けられる。多くの亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、けが、さらに多くの被災し、避難されている方々に一日も早く、平安な日々が訪れることに願うばかりである。熊本大学にも多くの知り合いの研究者、医師がおり、お見舞いをお伝えするにあたって、皆さん気丈な御返事をいただくが、通常でない日々を送ることの大変さを推察する。私自身、神戸にあった実家も阪神大震災で全壊したという経験からも人ごとは思えない。早急の復興を願うばかりである。
 4月27日、岩手医大泌尿器科教授小原航先生のご厚意により、医学科4年生に対する講義をする機会を得た。徳島の自宅から盛岡駅まで、おおよそ6時間強の時間がかかる距離なのだが、地方から地方に行くこのような機会に、岩手医大の学生がどれくらい徳島のことを知っているのか聞いてみようと考えた。講義に出席していた120名ほどの学生に、はじめ四国出身者がいるかどうか聞いてみたが、全く手を上げる者がいなかった。つまり、四国から東北地方、特に岩手県への学生の流動がほとんどないことが考えられる。また、下記のスライドをみせて、「徳島県はどこ?」と尋ねると、ほとんどが2番に手を上げたものの、結構、どこにも手を上げない学生もあり(他の理由かもしれないが)、特に、5番の島(小豆島)は全く分からないようであった。確かに、私たち四国に住む者が東北地方を詳細に言えるかどうかは定かではないことからももっともの話かもしれない。
 驚くべきことは、四国全体の面積が18,800km2に対して、岩手県の面積が15,280km2もあり、ほぼ同じくらいの面積であることである。岩手医大の医師が岩手全体の医療を支えることの大変さを感じざるおえない。今回、講義をした学生の頑張りが地域医療にもなお一層重要であることを考えると、講義をする側もよりよい内容を伝えなければと思った次第である。



(65)2016. 4 . 9
 「何気に思ったこと2 〜公共建築物の耐久時間〜

何気に、車で橋を渡っている時に、「この橋崩れ落ちたりしないものだろうか?」と不安に思うことがある。以前、トンネルの崩落のニュースなどを聞くこともあったことを考えると、決して「ない話」ではないが、ほぼ杞憂だとすましてはいる。しかし、見るからに、さびさびの鉄筋丸出しの、古い橋を通っているときには気になるのだが、実際どれくらいを耐久年数として作製しているのだろうか?ここに載せている鳴門大橋の写真はもう7,8年も前に撮影したものであるが、今も見た目少しも変わらない。おそらく、知らないところでのメンテナンスは頻繁に行っていることでしょうし、橋を掛け替えたりすることもあるのだろう(どうやっているのか想像もつかないが)。しかし、設計時の見積もりも相当な年数だと思うが、地震、台風が頻繁に来るこの日本において、50年?100年?と見積もることができる設計技術も素晴らしいことである。


(64)2016 4. 1
「桜満開の時期を迎えて」

この時期、ようやく習慣となりつつあるウォーキングで蔵本公園を廻ると桜が満開となりつつあり、また新学期を迎えたことを実感している。単に、毎年数をかぞえているだけのようだが、これで徳島に来て8回目の新学期を迎えることになる。27年度末から申請していた研究費の採択の結果に悲喜こもごもとなっていたが、これは、一種の中小企業(決して大企業ではない)の経営者のような気持ちではないかと思いつつも、今年も研究に邁進するしかないと気持ちを引き締めている。その引き締める理由の一つとして、HPのトップページに記載したが、この4月1日から私の研究室の所属名が「疾患プロテオゲノム研究センター」から「先端酵素学研究所」に改組された。また、分野名も「ゲノム制御分野」から「ゲノム制御学分野」と微妙ではあるが変更となった。基本的には名前が変わっただけで何も研究内容は変わらないのだが、徳島大学のような地方大学の今後のあり方、研究大学としての国から認識という意味では、さらに研究成果を発展させることはもちろんのこと、自分の立ち位置もしっかりとする必要あることをなお一層認識しなければならない。
 また、もう1つの新たなこととして、この4月より、岩手医科大学泌尿器科から加藤廉平君と徳島大学皮膚科学研究室から緋田哲也君が新メンバーとして加わった。慣れない研究だと思うが、これまでの臨床経験を是非ともいかして頑張っていただきたい。そして、みんなで「研究に没頭」して、新たな研究室を盛り上げていきたいと思うばかりである。


(63)2016. 3 . 31
 「何気に思ったこと

何気に、トイレのウォシュレットの使用方法の英訳をみると、「おしり」という単語の下に「SHOWER」と記載されていた。ウォシュレットの存在を知らない、もしくは、この使用方法の英語を見ることを必要とする、初体験の外国人がわかるのだろうか? 当然、「おしり」は読めないでしょうし、シャワー?、どこから?と疑問に思うのではないだろうか。スイッチボタンには鯨の潮吹きのような絵文字が書かれてはいるが、これも仕組みを知っているからこそわかるようなものの、知らないヒトにとってはとてもこの「SHOWER」ボタンを押す気持ちにはならない気がするだが。
 少し前に、「テルマエロマエ」という古代ローマ時代のお風呂の設計士?役の阿部寛さんが現代にタイムトリップする映画があったが、現代にタイプトリップした時にはじめてウォシュレット付きの便座に座って、その後驚愕するというシーンがあったことを思い出した。ここまでいかずとも、この使用方法の英訳はあまりに乏しい気がするのは私だけであろうか。


(62)2016. 3 . 18
 「研究者への道を歩んだ経緯2

少し間があいたが、表題の件の続きを述べたい。
 よくある話かもしれないが、研究者になるには、良いヒトと出会うことが重要であるといいたい。出会いは偶発的なことではあるかもしれないが、進む方向を見つけるには必然である。私は公私ともに、同僚から恩師まで良いめぐり逢いがあって今ここにあると言ってもよい。「邂逅」という言葉があるが、特に、私の人生を決めることとなる恩師とのめぐりあいがあげられる。
 実は、私は幼い頃から大人になったら科学者になりたいなどと夢を描いていたのだが(いろいろな理由はありながらも漠然と)、一方、どのような分野の科学者になりたいのか、どの学問に興味があるのかもそれほど具体化できないまま、ただ思いは継続したまま高校時代に理系に進み、その頃、分子生物学、バイオテクノロジーという言葉への興味も手伝って、最終的に農学部を選んだ。実は、私は「色覚異常」(この異常という言葉に非常にナイーブになっていた頃もあったが)なので、医歯薬学部は受験できなかったことも理由の1つであった。今でこそ、色覚異常であっても医師薬学部をはじめとするほとんどの学部、学科に受験可能かと思うが、私が受験の頃は、ほぼ全大学の医歯薬学部の受験要項に「色覚異常は受験できない」とかかれていた。また、この「色覚異常」については、私の経験談も踏まえて、またここで述べたいと思う。
 大学入学後は、幼い頃から続けていた柔道をかじりつつ、大学のシステムのながれのまま、3年後期の研究室配属の際に育種学研究室を選んだ。ここで、恩師となる一井眞比古先生(前香川大学学長)と出会うこととなる。その頃、一井研究室は人気があり、私の代も多くの学生が配属を希望していた。私も一井先生の遺伝育種学の講義を聴いて、作物の遺伝育種学、特に遺伝学に興味をもっていたこともあり、同研究室を選んだ。同期の配属が異例の5人となったほど倍率が高かったのだが、なんとか配属することができた。しかし、配属直後はそれまでに不勉強もたたって、研究そのものを全く理解できておらず、自分のテーマに関係する論文すら読めない、理解できない有様であった。今思えば、こんな学生が配属されても指導する側は困ったと思うが、当時、一井先生や先輩諸氏が我慢強く、指導してくれたおかげで、なんとか踏みとどまれ、そして徐々に研究への興味を高めていくことができた。
 育種学とは、生物、特に作物を目的にあうように(多収量、防虫、耐熱、耐寒など)遺伝的に改良する学問をいう。当時は、イネの多収量を目的に、その成育に必須な窒素源としての硝酸塩の吸収を高めるために、その律速となっている硝酸還元酵素を遺伝的に改良するというテーマを持たせていただいた。先生のご指導の下で、この研究を進めていくうちに、研究職、特に人のためになる研究をしたいとの気持ちが強くなっていった。この頃の私は体力だけは人一倍有り、興味を覚えたことを継続して行うことはたけていたように思う。今も変わらず思うのは、この継続し続ける力が非常に重要であることである。これは自分自身を向上させるには必須であるのはもちろんだが、周囲からの認知される、理解されるためにも必要であると思う。

 とりわけ、大学・大学院時代の大きな出来事として、大学院修士2年の時に、一井先生がイギリスへ研究のために1年近く不在となったことがある。現在の私の研究室のようなシステムとは異なり、その頃は、研究室のスタッフは教授のみで、大学院生、学部生全員が一井先生のご指導の下で研究を遂行していた。その研究室の主宰者が不在となる事態に、大学院修士課程2年生であった私が研究室の最年長であったことから、研究室所属の下級生の世話などを行わなければならなくなってしまった。また、当然、自分自身の研究も進めなければならなかったので、単身、その頃の共同研究をすすめていただいていた、宇治市の京都大学食料化学研究所の井田正二先生(現在はご退官)や大阪堺市にある放射線研究所の長谷川博先生(前滋賀県立大学教授、現在ご退官)の研究室まで、神戸市の実家を拠点として頻繁に足をはこび、作物の硝酸還元経路の研究の大家であるお二人の先生のご指導を仰ぎながら研究をすすめ、四苦八苦していたことを思い出す。特に、この頃新たな研究、新しい実験を取り組むことにわくわくし、気持ちが昂揚していたことをはっきりと覚えている。また、これらの経験により、研究室運営の大変さ、人間関係の重要さ、そして、研究進行の難しさや研究に真摯に取り組むことの大切さを大いに学び、非常に明確に研究を生業とした職業につきたいと強く思った頃だった。このように、この頃の貴重な研究生活が、その後の私の研究人生に大きく影響したことは間違いない。

 この学生時代に、一井先生からは多くのことを学んだ。特に印象深いこととして、我々ヒトはもちろんのこと、生物は多様であること、その多様性から、それぞれの違いをとりたてて区別することは意味のないこと、つまり「区別しない心」をもつことの大切さを教えていただいた。そして、大学を卒業するとき、将来就いた職やその時々の身分によって人を分け隔てしないこと、立場の弱い者に対してこそ声をかけてあげること、とお教えいただいたことが今も強く心に残っている。この教えが今の私のキャラクターの土台になっていると思う。

 次に、もう1人の恩師である、中村祐輔先生(現シカゴ大学教授)との出会いが、私が研究につき進むこととなった最大の理由である。私の人生で最も影響をうけた先生といっていい。中村先生との出会い、ご一緒した日々については、今後何回にも分けて話さなければならないほど濃いものであるので、次回以降に述べたいと思う。

(61)2016. 2 . 20
 「健康事情 〜朝のウォーキング〜

この2月も多忙極まりない日々が続いている。昨年ほど今年は出張が多くないのだが、申請書、報告書類の作成がやたらと多い。しかし、知り合いの先生方に聞くと、同じようなコメントがあるので、私だけが特別というわけではないようだ。研究費の獲得は私たち研究者としての必須なので、致し方のないことといいつつも、気力も、特に体力が昔ほど続かない。ということで、体力増進のために、以前から「しなければ」としきりに述べていた「朝のウォーキング」を最近始めた。自宅から蔵本球場を3周ほど少し早足で約3Kmほどの距離を歩いている。平日の早朝は競技場周りにはあまり人がいないのをいいことに、変なストレッチしながら歩いている。始めた当初はラボに到着すると、へとへとだったのだが、今は良い感じに身体も温まり、妙な充実感を覚えている。しかし、若い頃はこのような人間の基本的な動き自体を運動とは考えてもいなかったものを、今は鍛えていると感じるのだから、いかに運動不足であるかがわかる。これを習慣にできればいいのだが、さてさて。

(51-60)


(60)2016. 2 . 5
 「研究者への道を歩んだ経緯1(改))

 昨今の日々の忙しさから、更新が久しぶりとなった。今回で、「日々思うこと」も60回目となった。だんだん書く内容が長文になってきていることを反省している。もう少し端的に述べていければと思うが、この年になると言いたいことも多くなってきていることもたしかではある。
 今回の内容はこれまで少しずつ書きためていたのものだが、若い人たち(特に学生さん)の将来進むべき道を選ぶのに少しでも役に立てばという気持ちから、昨年12月に母校で行った講義の際に話した「”研究職、特に、がん研究“に進むことを決断した経緯」についてここで詳細に述べたい。非常に私的な経歴の内容について述べることになることをご容赦いただきたい。

 私の履歴を見ると分かるとおり、私は1991年大学院修了後、大塚製薬に入社している。私が入社したときもうすでに大企業であったのだが、その頃は、ポカリスウェットやカロリーメイトなどが主力であり、飲料会社や健康食品会社といったイメージが強かった。私が入社した頃は社内でも、売り上げの貢献度からそういった分野の方々の地位が高かったようで、製薬関係者、特に研究職の方々はかなり批判され、金食い虫的な存在として虐げられていた感があったように思う。しかし今や「統合失調症治療薬のエビリファイ」など多くのよい薬が開発されており、本来の製薬企業としてもトップクラスの大企業となっている。このようなことも含めてであるが、時代背景は今とは全く異なり、また、この頃はバブル期(終期)であったことが、私が農学から医学へ移行した要因の1つとして挙げられる。最近は少し経済状態もよくなってきてはいるようだが、それでも雲泥の差といっていいほどに、その頃は売り手市場であった。この就職状況の時代背景と当時の家庭の経済状態の困難さもあって、進学よりも就職することを選び、最終的に大塚製薬株式会社へ進むことができた。当時は植物や作物を対象とした研究職への就職が困難であり、製薬企業の研究職へと選択肢を広げたこと、少しばかりではあるが医学関連研究への興味もあって、農学研究から離れることにもつながった思う。これは人生初めての大きな決断となったこととしてあげられる。

 と、このように時代背景が進学・就職を決めた理由であったと述べたが、その頃のことを今思うことも述べておきたい。
 私は、この時点で進学を選ばずに、就職を選んだ。これは、この頃、進むべき道を明確にする気持ちの強さがなく、単純にその時代背景に流されたようにおもう。若い時はあまり自分に自信が持てず、「とりあえず」といった安定志向となりがちであった。しかしながら、今この年齢になって思うのは、何かを成し遂げるためには遅かれ早かれ、思い切った決断、そしてそれを促すほどの自信をもつためにとにかくハードに打ち込む気力と体力が必要であるということだ。目先のことにこだわらず、そして先の不安さを吹き飛ばすほどの強い意志とハードワークが私の程度の凡人には必要であるというのが今の私の持論である。ただし、これは優秀なヒトには参考にならないことかもしれないので、その点は留意されたい。しかしながら、私の母校在籍、出身者であれば、ほとんどが私ぐらいの能力であると思っているので、やはりハードワークは必須である。

 もし、企業を選ぶのなら、私の経験上、かなり優秀(単に学業が優れているのではなく、研究者としてセンスなども含めて)でなければ、入社してすぐに自分の思うような仕事につけることはほぼない。学生時代に行っていた研究をそのまま企業で続けることは皆無であり、全く経験のない分野に配属されることもあるかと思う。ただ、生物系のヒトが有機合成の分野に配属されるようなことはないとは思うが、それでも少なからず希望とは異なる仕事への配属は大いにあることである。特に、私は、上述のとおり、農学、それも作物の育種学出身なので、製薬会社に入社後は当然まったく異なる分野になり、一から教えを請うばかりであった(それはそれで新鮮であったことは間違いないが)。学生時代のことは後ほど述べるが、その頃に養ったモチベーションが唯一の武器であったように思えるが、会社側からは、プロ野球でよく聞く「即戦力」などはほぼありえず、入社3年間は投資期間であり、その後に投資に見合うような戦力となってくれとの願いが込められている。また、企業では仕事をグループ単位で行うことも多々あり、それを自分は何に貢献しているのか全体像が見えずに歯車的な存在であると感じることもあるかもしれない。さらにこのような状態が入社後も年単位で続くと「こんなはずではなかった」と思うこともあるかもしれない。故に、私の経験からも、会社側の思惑とは異なって、入社3年目までに転職する者が多いのはこういった理由であると感じる(実際、私も転職した)。さらに、当然であるが、その企業の経営状態に大きく左右されるのは成果をあげるのに時間を要する研究職であり、昨今の経済状況ではリストラや転部(研究から営業など)も珍しくないと聞く。

 このように述べると、企業での研究職はダメのように聞こえるが、しかし、企業ではアカデミアではできない規模の研究を進めることも可能であるし、例えば、創薬となるとアカデミアにて進めることは、その研究資金面から絶対に無理である。その代表例が、上述の大塚製薬の「統合失調症治療薬のエビリファイ」の開発などは企業でなければ、そして大塚製薬でなければできなかったことであると思う。さらに、私の経験上、企業には多くの異なる分野の方々が集まっており、そういった異分野の方々の考えや発想に触れることは大いに経験上刺激となったことを思い出す。また、給与面がアカデミアよりも相対的によいことがいえるが、これが精神的な安定、そして余裕を生み、そして豊かな生活を送ることができるかもしれない。さらに、社会に出ることによって社会性を身につけることも明らかにアカデミアのみにいるよりも身につくように思う。研究職はアカデミアでも企業でもかなり閉鎖的であるが、それでも、企業の方がより社会性を身につけなければならない環境であったように思う。その一方、アカデミアでは研究室に在籍することでビックラボで無い限り、かなり少ない人数で構成されている仕事環境で過ごすこととなり、また、基礎研究であれば、特にその仕事の成果が売り上げにつながるわけでないので、コスト意識も企業に在籍するよりは低い印象がある。それに対して、アカデミアでは私程度のレベルでは経済的に安定となるまでにかなり多くの時間を要し、その先行きの不安定さや経済的な不安定さもから精神的なタフさが要求されると思う。家族の支えも非常に重要な要素である(ケアも)。
 このようにいろいろ状況を考えて、述べてみると、つまり、アカデミアでも企業でもどちらに進んでもよいのである。ようは、成功するなら、成功するには、どのフィールドに行っても上述のとおり、強い意志とハードワークが必要であるということを強く言いたい(持論)。

 それでは、一旦企業に入った私が何故アカデミアの世界に入っていったのかは、後に述べる恩師と出会いが大きな要因ではあるのだが、まず簡単にのべると、やはりアカデミアにいることで、自分の考え、自分の研究成果を自分の手でまとめて世に出すことできる機会をもてること、そしてその成果が不変な真理であり、世に役立つことに繋がればとの思いを、そして、特に医科学分野に身を置くようになってからはやはり患者さんのためになる研究成果をあげ、届けることができればとの思いを述べる機会があることからアカデミアに移った理由である。自分自身の手で成果を論文として世に出すことは企業ではあまりなく、その1つ1つの成果をまとめ上げる過程ができることにアカデミアでの研究に魅力を感じているからでもある。しかし、再度今の年齢になってみると今度は医科学の分野で、その成果を形にする、創薬を手がけて、その薬を患者さんに届けるという点では、やはり企業にいなければ達成することができないこともひしひしと感じている。このようなジレンマも感じ、悩ましい限りではあるが、入社後4年少しで退職してアカデミアに身を投じた私は、会社側からすれば、3年間も投資をしたのに、ものの見事に期待?を裏切って辞めたとんでもない奴だと思われていた(る)と思う。全くコスト意識のかけらもなかった。ただ、何かにかけてみるのも良い人生であると今は思う。

 次に、良い経験を積んでいくこと、良いヒトと出会うことが重要であるといいたい。私にはその経験として、私の人生を決めることとなる2人の恩師との出会いがあげられる。少し長くなったので、この話については、次回以降に述べたいと思う。


(59)2016. 1 . 5
 「吉丸哲郎君 講師に昇進

吉丸哲郎君が1月1日をもって講師に昇進した。昇進おめでとう。
 思えば2009年に学術研究員として私の研究室の門をたたき、一念発起してそれまでの研究歴を一変して「がん研究」へと転身し、これまで日夜研究に没頭してくれた。研究当初2年ほどは慣れない実験などで焦りもあったことかとは思うが、その後の頑張りはこの「日々思うこと」にも度々記載しているとおりで、私が独立してからの業績のほとんどは彼がいなければ成り立たないといっても過言ではない。改めて御礼を言いたい。本音はもう少し早くに昇進をかなえてあげたかったのだが、まだまだこれに満足することなく、さらに高みを目指して、そして自らの力を試すことができる新たなスタート位置にたてるように精進してもらいたい。特に、ここでの貴重な経験を共有すべく、今後はこれまで以上に積極的に同僚、後輩、学生に自らが声をかけ、彼らの育成にも励んでもらいたい。

 全く別の話であるが、本日、毎年恒例の人間ドックを受診してきた。昨年の体重制限無視の生活からか、速報値では悪玉コレステロールだけが少し高い数値であったが、体重増加によるメタボ体型以外には何も異常は認められなかった。やはり今年は節制して再度体重を減らすことにより、無事これ名馬を目標としたい。


(58)2015. 12 . 28
 「母校での講義

月日の経つのは本当に早いもので、もう今年1年を終えようとしている。今年で私も50歳となり、ある意味人生の節目を迎えている。歳を重ねるにつれて経験豊富になり、そして熟成されていくはずと思いたいのだが、とてもそうなるような毎日を送っておらず、日々襲いかかる仕事の山、その〆切をこなすのに精一杯になってきている。私は余り器用ではなく、頭を切り換えていくつも並行して行うことが苦手なので、どうしても1つ、2つのことが気になると、そればかりとなり、他のことができなくなる。例えば、研究以外に気持ちを切り替えて、健康のためにも、そして仕事をより効率よく充実させるにも適度な運動として散歩やジョギングなどに取り組もうと思うのだが、どうしても気持ちがいかず、そちらにエネルギーを費やせない。来年こそはこの悪習慣を打破して、健康的にすがすがしく過ごしたいと思ってはいる。
 今年の12月は多くの講演、講義、会議での発表があったのだが、そのうち印象深かった1つに、12月11日に母校である香川大学農学部で、学生への講義と研究セミナーを行う機会があった。私は大学、大学院時代は、全く今の世界とは異なり、イネを対象とした育種学の研究室に在籍し、イネの硝酸還元酵素の遺伝的改良を目的とした研究を行っていた。当然、今のような「がん研究」へ進むなどとは、その当時小指の先にも考えたことなかったわけであるが、このように母校で後輩となる学生に話す機会を得たことから、彼らの将来の一助となればと思い、自分の経歴、特にどのようにして、今の研究の世界へ進んだのかを講義のはじめに紹介した。私の知っている限りは、農学から医学へと進むことはそれほど珍しいことではないのだが、講義を聴講した学生の講義レポートを読むと、多くの学生が私を自分たちの先輩ととらえて、私の履歴、特に医学研究へ進んだ経緯や理由、そして、今私が行っている医学研究とはどういうものかついて非常に興味があることがわかった。このことからも、講義の際に話をしたことの中で、特に、どのようにして私が研究者として歩み始めたのか、そして、今の研究に進んだのかを次回以降に述べてみたいと思う。
 しかし、今回講義室に入ってはじめに驚いたのは女子学生の多さである。100人強の学生が講義をうけていたのだが、ぱっとみて半数まではいかないにしても40%ぐらいはいたであろうか。現在の徳島大学医学部医学科も30-40%はいるということだが、このように生命科学系学部に女性の割合が多くなったのはいつごろからか、私が入学した昭和60年当時は農学部キャンパスで女子学生を見かけることも少なく、特に私の学科には30人中2名しか女子がいなかったことからも隔世の感である。生命科学研究、特に医科学研究への女性の進出は、女性に特有な疾患もあることからも必須であると私は思う。しかし、実際にこれら女子学生を含む農学部生が将来どのような道に進むのかと、今回講義の機会を与えてくださった、生命機能学研究領域生物資源利用学専攻の田中直孝先生にお聞きしたところ、研究職として企業への就職は難しく、全く研究とは関係の無い道へと進む学生も少なくないという。今回の私の講義を聴いた多くの学生の講義レポートに、医学研究へと進むことも将来考えてみたいとかかれていたこと、農学部生として研究職を続けていくことへの選択肢を探していることがわかり、彼らにも生命科学、医学研究が魅力ある分野であることや、もちろん十分に進むことができることを私ような者がもっと説明、紹介することで、彼らの将来の選択肢の1つとすることの必要性も感じた。そして、彼らが長く続けることができるような環境をもっと整備する必要性もあると思った次第である。


(57)2015. 11 . 6
 「あらゆるスポーツが限界に近づいてきているという仮説

大きな学会、また科研費の申請や講義なども重なり、久しぶりの更新である。
 ここでは、よくスポーツ競技者の方々について思うことを話するが、この間にもいろいろ大きな話題があった。その1つは、ラグビーワールドカップの歴史的勝利であるが、もう1つ、体操の世界選手権で37年ぶりに日本男子が団体で優勝したというニュースがあったので、こちらについて述べたい。スポーツはどれも好きなのだが、体操も好きでよくテレビ観戦する。しかし、今の体操は、単純に鉄棒で大回転して、離れ技(手放しする技)を少しいれて、しっかり着地といったものではなく、本当にどうやったらそんなことができるのかと思うほど、技の難易度があがっている。最近は、難易度表す「G難度」とか「H難度」という言葉を聞くのだが、私の小さい頃の「ウルトラC」といった表現では追いつけないアルファベットの順番となっており、実際、視覚的にはありえないほど、くるくる回転し、ひねり、跳び、跳ねつづけている。スローモーションで見ても、何回ひねっているのかわからないものもある。「ひねり王子」などと呼ばれる白井健三選手を見ると、もうあり得ない「ひねり」」の世界である。

 今回、日本男子団体が優勝したのは、幼少期からのシステムだった競技者全員の技術レベルの底上げはもちろんであるが、一つ一つの技を、手足の先の伸びまで気を配り、細部にわたって洗練された「美しい体操」を目指した成果のようである。特に、その中でも、個人総合6連覇という史上ありえない偉業を続けている内村航平選手は、この演技以上に、来年のリオに向けて気を引き締めるという記事もあった。しかし、その内村選手のコメントに、「正直、技の難度は、これ以上進化できないというところまできている」という気になるものがあった。彼の年齢から考えると、難易度の高い技の新たな習得よりも、今の技術を洗練することに重点を置く方が良いとの判断かとは思う。

 このコメントのとおり、今回優勝した日本の中でも内村選手でさえ鉄棒で落下し、また中国の選手も大きくミスをしていることで点数が伸びなかったことを見ると、もう技の難易度は「限界」まで来ているのではないかと思う(少なくとも「XYZ難度」なんて言う言葉できないだろう)。寸分の違いでもミスに繋がる。これは、これ以上技の追求を望むことは、けがする確率もかなり高いものであることを選択しなければならないところまできていることを意味しているのではないだろうか(今でもおそらく十分にそういう状況のように思える。)。競技性からして、技の追求は仕方の無いことかもしれないが、内村選手が鉄棒から落下したの見たときには、恐怖すら感じたのは私だけではないようにも思える。また、この内村選手でさえ技の難易度を上げることが難しいというコメントがあるのは、今後それ以上のことができる選手自体が現れるものだろうか?そういう意味では、体操に関しては競技種目の一新も考える必要があるのではないだろうか(鉄棒、跳馬、吊り輪、平行棒とどれをとっても危ないように思えるが)。

 今、体操だけでなく、あらゆるスポーツが種類は違えど、この競技性の「限界」に到達しようとしているように思える。陸上競技では、もう何年も、何十年も破られない記録が残っていることや、8月の世界陸上では1つしか世界記録は生まれていない現状を考えると、そう思えてならない。水泳もタイムをあげるために水着の開発に目がいくのは、それを間接的に表しているようにも思える。フィギアスケートに至っては、スケーティング技術などは進化しているかもしれないが、ジャンプに関しては伊藤みどりさんの頃から、素人目には、あまり大きくかわってないように見える(フィギアスケートの詳しいヒト、ごめんなさい)。現代では、浅田真央選手のような選手はそうそう現れないこともそれを意味するのではないか。しかし、内村選手もそうであり、陸上のボルト選手、野球のイチロー選手など一握りの超天才が現れて、記録を塗り替えている事実もあるのだが、そういった人並みはずれた選手の到来を何十年も待たなければならないことは、ある意味「ほぼ限界」に到達しようしているように思える。

 この背景から、現代、スポーツを生業とする選手の日々の鍛錬は過酷で有り、上述の超天才ではなくとも、プロとなればなるほど、世間の目にもさらされ、そして一瞬でも気を休めることがならないものへと向かっているように感じる。サッカー日本代表選手に、体脂肪率を一桁%にするのを厳命とあるが、そこまでそぎ落とすことをしなければ闘うことができないと要求することは、ある意味、限界ぎりぎりの状態を保たなければならない、けがと表裏一体となっている競技生活を送らざるおえない。本当に切ない、複雑な思いである。以前述べた、柔道家の「野村忠宏」選手の引退の理由はこれ以上柔道を続けることができないほどの満身創痍であったことである。これは40歳という年齢でも続けていたこともあるとは思うが、それ以上に過酷な環境に身を置き日々の鍛錬をしなければ、一流と呼ばれる場所での戦いができないことを意味している。

 私のような単に観戦して楽しむ者は、より高く、より遠くへ、より速く、そしてより強くを単純に比較し、見てその素晴らしいパフォーマンスに歓喜するだけなのであるが、軽々しく「なんや、しっかりやれよ」とは言えない心境となってきている(とはいいつつも、簡単言っていたりするのだが。)。ただ、イチロー選手のように、競技も優れているが、それはけがをしない身体作りの上であることを見聞きすると、競技の違いはあれど、やはり「無事これ名馬」であり、反対にこの言葉になることが一番難しいことを改めて感じる。

スポーツ選手、本当にご苦労様です。こう考えると、その存在だけでも、十分に訴えるものがあるように思えます。


(56)2015. 10 . 1
 「門出と新体制 2

この度、助教の小松正人君が平成27年9月30日付けで退職し、神戸大学医学部病院病理部へ異動しました。今回の異動は、小松君から自分の将来を考えて病理医として進みたいという希望からでした。小松君は、2010年4月に消化器移植外科の大学院生として私の研究室に参加し博士学位を取得しました。その後、外科を辞して基礎研究に進みたいとの本人の希望から、私としても彼の、医科学を進める上で重要な臨床的な観点からの基礎研究を進めたいとの考え、また学位研究に従事した際の彼の研究姿勢や頑張りに、研究経験は浅かったのですが、研究室の助教として参加してもらいました。約5年半もの間、彼には本研究室の中核である、網羅的遺伝子発現解析から次世代シーケンス解析そして、治療標的分子の機能解析から治療薬開発ための動物実験など、包括的なヒトゲノム解析研究から治療薬開発の基盤研究を一手に進めてもらい、研究室の中心人物として頑張ってくれました。彼自身の研究テーマは挑戦的なテーマでもあったこともあり、良いところまで行きながらも困難もあり、まだ道半ばなものもありますが、現有メンバーで良い成果にまとめたいと思っています。これまで本当に長い間ありがとうございました。彼の頑張りがなければ、今の私の研究室の業績はないといっても過言ではありません。いつも言うことですが、小松君の新天地での活躍を祈るばかりです。今後も今まで通り精進してください。
 この10月1日から、高橋定子(たかはしやすこ)さんが特任研究員として新たに研究室に加わりました。彼女はドライの研究室から一念発起して、創薬を目指した研究を目指したいと参加してくれました。紅一点、今後は私の研究室のスローガンである「研究に没頭」し、頑張ってください。

(55)2015. 9 .2
 「Globlish」

黒木登志夫先生の著書「知的文章とプレゼンテーション(中公新書)」を読んではじめて知った言葉である。黒木先生というと、東大医科研に在籍されていた癌研究の大御所で、この著者をはじめ「科学者のための英文手紙の書き方」「がん遺伝子の発見」、最近では「iPS細胞」といずれも名著を執筆されている。

「Globlish」とは、日本IBMに勤務していたフランス人のネリエールという方が提唱した言語のことで、「英語を母国語としない(non-nativeな)者の間で成り立つ共通言語」をいい、「Global Engilish」を合成した言葉である。また、この本に書かれていた文章で、印象深かったのをそのまま抜粋する。

「non-nativeがお互い話をしているとき、多くの間違いがある。発音もおかしい、単語は別の意味に使われていたりする。nativeは、ひどい英語だと思うかもしれないが、non-nativeの間ではコミュニケーションが成立し、それを楽しんでいる。しかし、そこにnativeが入ると、会話は一瞬に止まる。みんな間違った英語を話すことを恐れて、話さなくなるのだ。」


私もイギリスに留学していたので、このことはよく理解できる。イギリス人が話す英語を聞き取ることは非常に難しかったのだが、イギリス人以外のnon-native、特に日本人が話す英語は非常に聞き取りやすかったことを思い出す。逆に、お茶室などで、native同士が話をしているところに割って入ることは非常に勇気がいることもあった。さらに、日本人同士だと、自分の英語の習得の度合いを評価されるのが恥ずかしくて話ができないという気持ちも出るのでなお一層問題である。ちなみに、nativeが通常使用している英単語は3000語程度だが、Globlishには1500語ぐらいでよいとのことなので、かなり楽に英会話習得にも取り組むことができそうである。ただ、私たちのような研究者が通常よく使う英語は含まれていないようなので、そこは別となる。とにかく、恐れず、勇気を持ってGloblishの1500語を使いこなすことが重要である。
「知的文章とプレゼンテーション」の本全体としては、私のようなPIの立場で読むと「あるある」的に納得することや再確認することが多くあったが、論文作成、プレゼンテーション法、英会話、研究費申請書の書き方など研究者として必須な事項について、非常に事細かく、実際の場面を想定して書かれており、指導的立場としても非常に役に立つ。また、実際、黒木先生は60歳の定年退職されてからPCを使用し始めたとのことだが、この本には「コンピューターを使いこなす」という章があるぐらいで、私自身も知らないような使い方も書かれており、非常に楽しめた。私が「学会発表11箇条」としてまとめていることにも多くが共通していたこともおり、納得もした。是非とも読んでもらいたい一冊である。今後はこのように良書をここで紹介できればと思っている。



(54)2015. 8 .31
 「門出」

特別研究学生として兵庫医科大学から研究室にきていた宮川義仁君が本日付けで任期終了で戻ることとなりました。本来の任期は2年間だったのですが、もう少し延長したいということで2年3ヶ月となりました。中村研の兄弟子にあたる(このような表現はおこがましいですが)兵庫医科大学の三好康雄教授のご厚意により、研究室に参加してもらいましたが、宮川君はすでに臨床医としての経験もあり、また年齢もそれなりでありながらの基礎研究へ飛び込んできたことから、様々な困難もあったことだと思います。研究室ではプレゼンテーションのスキルから、質問する姿勢に至るまで細部にわたって「がみがみ」と指導してきました。まだお世辞にも十分とは言えませんが、修練のかいあって研究室に来た当初よりも非常に上達しましたし、姿勢も積極的になりました。研究内容は最初1年間、一喜一憂の日々を経験して基礎研究の厳しさを肌で感じ、そして後半の1年あまりは、研究にもなれてきたこともあり、その成果として新たなTNBCにおけるがん抑制遺伝子の不活化機構を明らかにしました。本当になれない中をご苦労様でした。と言いたいとことですが、まだ学位論文がまとまっていないので、もう少し頑張ってもらいたいと思っています。まずは一区切りとして、臨床に戻ってさらに活躍をと祈るばかりです。
 いつも書くことですが、数年間も同じ窯の飯を食べた仲間が卒業することは,うれしさと寂しさとが混ざった複雑な心境です。ただ、ここで学んだことが将来に役に立ってほしいと思うばかりです。


(53)2015. 8. 30
 「柔道家、野村忠宏選手の引退」

オリンピック柔道3連覇という偉業を成し遂げた柔道家、野村忠宏選手が引退を決意したとの報道をみた。私も少し柔道をたしなんでいたのでわかるのだが、競技としての柔道は、20歳半ばまでがピークであり、長くとも30歳までが限界であると言われているなか、オリンピック3連覇というとてつもない偉業、さらに40歳まで選手として鍛錬している姿に感動を覚え、無条件で応援したくなる。特に、野村選手は最軽量級(60キロ級)の選手で、柔道では最も激しい動き、瞬発力、そして減量などが要求される階級に属していることからも、その肉体維持に驚かされる。野村選手も、以前から私が言っている「一握りの天才」であることは間違いないが、こういった一時代を築いた選手の引退を聞くのは寂しいものである。最後の実業団の試合に駆けつけていた水泳の北島康介選手、フェンシングの太田雄貴選手とのやりとりをみて涙がでた。ただお疲れ様でしたとの気持ちである。

 現在、柔道はサッカーの次に世界で競技人口が多いスポーツ(私には武道であるが)と言われており、国際柔道連盟への加盟国は200カ国にものぼり、世界の至る所に普及している。オリンピックや世界大会のニュースをきくにつれ、私が若い頃には柔道自体行っていたのかと思うような国名をみることもあり、現代では、柔道発祥の地である日本が当たり前のように勝つことができなくなってきているのも事実である。また、現在では、柔道もテニスやゴルフのように世界ランキング制が導入され、常に勝ち続けないと大きな大会にも出ることができなくなっている。私が柔道をたしなんでいた頃よりも、よりシビアで、鍛錬した身体作りが必要であることにちがいない。しかしながら、こういった背景の中、現在(2015年8月24-29日)行われている世界柔道選手権にて多くの日本の選手が優勝、そして上位に入賞している姿をみると、柔道を少しかじった私でさえも誇らしく、さらに野村選手のような方がまた現れてくれることを期待している。


(52)2015. 7. 29
「やせた?

ちまたでは、依然ダイエット話が花盛りで、私も昔ダイエットについてここで記載したことがあるからか、いろいろな方から「今も順調にやせているのですか」としばしば聞かれる。しかし、その答えは、「NO」である。やせようと思っても、全くやせなくなったのである。昨年夏に、胆嚢摘出をしてから少し食べ過ぎても消化器官の不調を訴えることがなくなったせいもあって食べている量が増えていることが最大の原因のようである。その一方、最近は歳をとって疲れがたまるようになって、少ししんどそうにしていることが、頬骨がこけているような錯覚を生むようで、「やせました? 」などという問いを誘うようである。やはり、生活習慣そのものの見直しをはかり、多くの同世代が勧めてくれる「ジョギング(マラソン)」を試さないといけないかなあと思っている今日この頃である。


(51)2015. 7. 20
「うどん

私は「うどん好き」である。出身大学が「うどん県」にあるので、大学時代、特に大学院の時はほぼ毎日うどんを食していた。2014年の統計で、うどん屋の店舗数は、人口10万人あたり63.96軒で、香川県が全国でダントツ第一位であり、二位の群馬の43.15軒を大きく引き離している。また、実総数は630軒もあり、コンビニの数より多いらしい。昨今は、全国チェーン店である丸亀製麺や、はなまるうどんが牽引している「さぬきうどんブーム」を背景にして、この「うどん県」に全国から多くの人が「うどん屋巡り」に来ており、昔なら地元の人しか知らなかったような場所(田んぼの真ん中や山奥など)にある「うどん店」まで行列ができているらしいが、私はあまり行ったことがない。持論ではあるが、そんなところまで行かなくとも、そこそこおいしい店が多いと思っている。ここでは、いろいろ意見もあるでしょうが、私の今でも好きなうどん屋さんを3つほどあげたい。

 1つめは、「多田製麺所」さん。香川大学農学部近くにあり、製麺所の横に小さな店を構えているが、10名ほどでいっぱいになるだろうか。大学院時代はほぼ毎日行っていた。ここでは私は「かけうどん」で食べるが、生醤油うどんも美味しい。
 2つめは、「うどん本陣 山田家」さん。今では観光スポットといってもよいほど有名で、東京にも店を構え、楽天で購入可能である。高松市の本店は、国の重要文化財に指定されているほど情緒ある店構えで、一見の価値はある。休日はピークの時間帯には行列もできるが、店内は広く、うどんといった食事の性質もあって回転も速く、それほど待たなくとも食べることができる。ここでは、「ぶっかけうどん」が有名であるが、かけうどんも美味しいし、天ぷらもうまいし、おでんもうまい。ここのうどんをお土産に渡せば、まず喜ばれる。
 最後に、「三野製麺」さん。ここのうどんは私が今まで食べてきたうどんでも1,2を争うほど、本当においしい。ここは食べるところがあるわけではないので、購入して自宅でつくるしかないのだが、乾麺が有名である。半年ほど常温で保存可能なので贈り物とすると保存食としても喜ばれている。しかし、20分間もゆでないといけないという、夏場には過酷な行程を要する。それでも食べてほしいうどんの1つである。
 もっとディープな有名うどん屋マップはネットでもすぐに調べることができるでしょうが、是非とも食してほしい。

(41-50)

(あくまでも、私(片桐)が個人的に思うことを綴っています)

(50)2015. 7. 18
「男気

最近、この言葉をよく耳にする。私も非常に好きな言葉であるが、プロ野球の広島東洋カープに所属する黒田博樹投手が、昨年末のMLBの契約更改での年俸20億円(当時)の提示を蹴って、まだ衰えていない現役のうちに出身チームである広島へ復帰したという心意気に対して、この言葉が用いられているようだ。今、黒田投手が投げる試合は超満員になるそうで、広島だけでなく、日本中からの人気を集めている。いつもながら辞書を調べると「男気」とは「男らしい性質・気持ち」「自分の損得を顧みず弱い者のために力を貸す気性」を意味しており、任侠由来の言葉のように感じる(現在は、そもそも男らしいという定義がよくわからないが)。こういった行動の根本にあるのは「恩義に報いる」ということに他ならず、損得勘定で何事も成り立っているような現代に、古くから日本人が持っていたこのような気持ちの大切さ、美徳に現代の日本人が気づき、そして飢えているのかもしれない。

 私自身のこれまでの多くの行動の決断の根底にあるのは、この「恩義に報いる」が背景にあることは間違いない。お世話になった方(恩師でも、同僚でも、研究室員や学生でも)に報いたいという気持ちは、未熟で非力であった時代に目をかけていただいたことへの御礼や、研究に賭ける気持ちに共感して共同研究を進めていただいている先生方への御礼や、非常に厳しい立場・状況にあるときに手をさしのべてくれた方への御礼や同じ目標、目的に向かって無心に励んでいる同僚、研究室員、学生への御礼などに、少しでも報いたい、役にたちたいという思いの現れである。しかし、その反面、淡々とマイペースに当たり障りのないように過ごす者にはあまりかかわりたいと思わない。損得勘定などない(あっても心にしまいこみ)「男気」をもって、熱く行動してほしいと思うばかりである。


(49)2015. 7. 11
「東京国際フォーラムってどう?」

日本乳癌学会学術総会での追記である。とはいっても、学会の内容ではない。東京国際フォーラムにて開催された学会に参加するのは久しぶりだが、学会のようなイベントには極めて不向きな会場であると改めて感じた。狭い場所に空間を巧みに?利用して作ったのかもしれないが、各会場(ホール)へのアクセスは非常に悪く、動線を考えていないこと、はなはだしい。おそらく見栄えを重視したのだろうが、有楽町駅のそばという立地条件の良さがなければここは成り立っていないのではないかと思ってしまう。しかし、東京国際フォーラムのHPを見ると、「東京国際フォーラム 施設の大規模改修10カ年計画」ということが書かれていた。1997年にオープンで、2009年からこの改修計画が始まっているということは、13年ほどで改修を余儀なくされていることとなり、それも10年間もかけて改修するという。このような大規模建築物の改修がこの程度の期間で改修するのがリーズナブルなのかわからないが、多くの方がこのフォーラムを快適におもっているのだろうか。もしくは、学会以外での使い勝手はよいのだろうか。

 実は、私は建築物を見学をすることが好きで、東京在住の時に、丹下健三、村野藤吾、吉村順三やフランクロイドライトなど有名な建築家の作品を多く見学したが、それぞれの建築家の個性からくる芸術性に併せて、非常に快適な建築物に感じ、なんとか後世に残してほしいと単純に思ったりもした。例えば、丹下健三が設計した「国立代々木競技場」は、建築自体はオリンピックに間に合わせることでドタバタだったようであるが、たった当初から非常によい評判であったようであるし、フランクロイドライトの設計である旧帝国ホテルは、ホテルとしても建築物としても文句のつけようがないものである。

 しかし、私は東京国際フォーラムにあまり芸術性を感じないし、やはりここまで機能的でない巨大建築物が有楽町と言った東京の中枢となる場所に建てられていることに違和感を感じ、今、ちまたを賑わしている新国立競技場の建築に関しても本当に競技場(他の利用価値も含めて)として機能性を重視しているのかどうかも心配になる。一流の建築家が計画しているのだから、こういった懸念は十分に考えているのだろうと思いたいのだが、東京国際フォーラムを見ると本来の建築物としての意義、重要性を十分に評価しているのか、その評価過程をオープンにしてほしいと思うのは私だけでないと思う。東京国際フォーラムでの学会に参加した者は誰もが感じることではないだろうか。


(48)2015. 7. 6
「luminal-type乳癌症例にBIG3-PHB2阻害剤を臨床応用したい理由

6月半ばからこの7月はじめまで、研究成果を発表する多くの機会があり、その1つとして、2015.7.2-4に東京国際フォーラムで開催された日本乳癌学会学術総会にて発表してきた。私はあまり臨床の学会には参加しないが、この乳癌学会には徳島大学に赴任してきてから学会員となって参加している。今年は一般演題として申請し、厳選口演として採択され、発表する機会を得た。世界的みて、乳癌を対象とした基礎研究は非常に盛んに行われているが、日本では乳癌のみに特化した基礎研究者はあまり多くなく、事実、日本乳癌学会の評議員を見ても圧倒的に基礎研究者は少ない。特に、私のような臨床医ではない基礎研究者がこのような臨床の学会に参加しているのはまれのようである。
 今回は、これまで吉丸君を中心に進めてきた「BIG3-PHB2相互作用阻害によるエストロゲンシグナル制御を通じた新たな治療薬開発」について話をした。徳島に赴任してから着実に成果をあげてきた研究内容で有り、毎年どこかの場所にて発表してきていることから、少しはこの内容についても認知されてきたかとは思っているが、本格的な臨床応用する創薬開発をとなると未だ反応が乏しいのが現実である。

これまでにこの研究で我々が証明してきた成果、特徴は以下の通りである。

1)luminal乳がん(A,B問わず)すべてのタイプのエストロゲン依存性増殖を阻害すること、
2)タモキシフェン耐性乳がん増殖を阻害すること、
3)タモキシフェンとの併用でアポトーシスをもたらし、相乗効果を導くこと
4)エストロゲンと増殖因子、増殖因子受容体活性化のクロストークによるシグナル活性化を抑制すること、
5)極微量のエストロゲン(in vitroにて0.5nM未満)にて十分にPHB2のER活性抑制を導くことから、エストロゲン枯渇療法後も十分に効果を発揮できることが考えられること
6)既存のホルモン療法によって引き起こされる副作用は起きないと考えられること、
7)がん特異的であること

と良いことずくしであり、何よりこれまでの分子標的治療は「ピンポイント爆撃」による活性化経路の遮断を売りにしているが、多くは耐性を生むことが非常に問題となっている。しかしながら、我々の方法は、癌細胞においてスイッチオフになっている内在性抑制因子のブレーキ機能をスイッチオンにすることで、原則的に抑制因子の生理的な抑制機能の再活性化にて、癌細胞にて活性化されている様々な経路の抑制を導くことから、ある一定の経路を遮断することへの代替経路の活性化などの耐性は起きづらいのではないかと想像している。
 特に、BIG3-PHB2の相互作用は調べうる限りのヒト正常臓器では認められず、癌細胞においてのみ認められていることから重篤な副作用は起きないことが予想され、このことは大きな利点である。実際に、乳腺同所性に乳癌細胞を移植したヌードマウスを用いた薬効解析では、病理学的観察で主要な臓器における異常や体重変動は認めていない。

 また、既存のホルモン療法の副作用は更年期障害様な症状が出ることがあるが、臨床的には余り問題視されていないことを耳にする。しかし、実際に患者さんの声を聞いたり、アンケートなどを見ると、長期的な投与期間(5年、長ければ10年)により、軽微とはいえ、毎日起きる副作用から投薬を辞めてしまう方もいる(その間にがんが進展、再発する)こともあることを考えると、本治療法はこのような副作用が無いことが予測され、このことも重要な事項であると思っている。

 しかし、こんなによい方法(個人的にそう思っている)なのに、未だほとんどの創薬関係者は振り向いてくれない。その理由の1つとして乳癌治療は他の癌よりも分子標的治療法が多く導入されて成功をしていることがあげられ、特にタモキシフェンなどは薬価も低く、また最近ではFluvestrantやmTOR阻害剤エベロリムスも導入されてきているので、この牙城を崩し、新規参入するのは容易ではない(私の広報が悪いことも大いに原因ではあるが)。第二に、タンパク相互作用を標的とした薬剤開発は、その薬効を企業が所有しているような低分子化合物などで導くのは困難であると考えられていることや、標的以外のタンパク相互作用によるoff-target効果を正確に把握することが難しく、未だ挑戦的創薬戦略であると位置づけられている。さらに、その薬剤が本治療法のようなペプチド製剤によることは、その分子量の大きさや不安定性から難色を示す方もいることもあげられる。第三に、非臨床試験としての毒性試験、薬物動態のデータがまだ不明であることも理由としてあげられると思う。ただ、これらのことは十分に理解しているが、本法の薬効、特に閉経前ER陽性Her2陰性症例(Her2陽性でも)全てに対して、本治療法はほぼ完全奏効すると考えられることや、また、現在の閉経後ER陽性Her2陰性症例の第一選択薬であるAIに耐性獲得した症例や、不応性の再発症例に対しては本治療法、またはタモキシフェンとの併用で、これまでに以上によい効果を生むことができることを考えると、チャレンジングであることは百も承知であるが、是非とも臨床フェーズへと発展させたいと思っている。
 また、この方法に加えてさらに今考えている方法をプラスすることができればより効果を増幅することができるのではないかというアイデアがあり、今後発表できればと思っている。

 この学会中も多くの先生方と会い、貴重なご意見を拝聴することができた。また、中村研時代に私のグループに所属していた現聖マリアンナ医科大学乳腺外科医長の志茂新先生が忙しい中、講演に来てくれ、講演終了後に久しぶりに話をした。中村研時代にいろいろな意味で大暴れしていた彼と旧交を深め、楽しいひとときをもつことができたが、その彼の口から、「多くの患者さんが目の前でなくなり、また既存の薬剤では効果の無い方や副作用にも苦しむ方もおり、早く治療薬を開発してください」と聞き、さらになんとかしなければと強い思いをもった。

 先述のとおり、この1ヶ月間、盛岡、札幌、東京と、本当に多くの旧友と再会することができ、懐かしく楽しい日々を過ごすことができた。しかし、皆さん、一緒にいたときとは異なり、それぞれ重要な役割を担う立場となってご活躍されている姿、そして、話を聞くにつれ、彼らとのおつき合いは私の財産であると同時に、今更ながらこのような関係を与えていただいた中村祐輔先生には感謝しかないことを実感している。私の考えなどは、そのほとんどが中村先生からお教えいただいたもので、その受け売りであるが、上述の目標をはじめ1つでも達成できればご恩返しになるものと信じている。


(47)2015. 7. 1
「学位審査

本日、歯学部の大学院口腔顎顔面矯正学教室に所属する金南希君の学位審査会があり、観衆の1人として聴講した。先日無事に「PLoS One」受理された内容についての発表であったが、妙に堂々と話をしている金君の姿に感慨深いものがあった。自分が一から教えた学生、研究室員がこのように学会や研究会、特に今回ような学位審査会にて発表する姿を見るのは誇らしい反面、自分を投影するからか、何とも言えない気持ちになる。これまで教えた多くのことが生かされているか、想定していた現状の問題点について審査員、聴衆からの質問にしっかりと回答できているか、とはらはらどきどきした。当然、審査会なので審査委員の先生方からの厳しい質問もあり、また、歯学部ということあって異なる分野の先生、聴衆も多くいたことからの想定外の質問もあり、緊張も相まって満足のいく回答とはいかないものもなかにはあり、少し歯がゆい思いもあったが、概ねよい発表会であったと思う。私も彼のような若い頃、恩師にこのような気持ちにさせていたのだと今この年齢になって感じている。ただ、今回のことは若いうちの良い経験で有り、今後このような場を多く踏むことでさらに自信となり、そして何が足りないかもわかってくるようになると思う。さらに飛躍してもらいという気持ちでいっぱいであった。
 また、本日付で特任研究員として、松下洋輔君が研究室に参入してくれた。新しい息吹をいれてくれることを期待しています。


(46)2015. 6. 28
「第34回 札幌国際がんシンポジウム

2015.6.25-27に中村研の兄弟子(このように言うことはおこがましいですが)にあたる東京医科歯科大学教授の稲澤讓治先生が主催された第34回札幌国際がんシンポジウムにて、稲澤先生のご厚意により発表する機会を与えていただき、参加してきた。非常に歴史あるがんシンポジウムであり、今回も多くの国内外から著名な方々が参加され、非常に勉強となった。私の恩師である中村祐輔先生もこのシンポジウムを1999年に主催されており、中村先生の門下生としては、はじめて稲澤先生が主催されたことは、私にとって尊敬に値し、また自分も頑張らなくてはと励みにもなった。本シンポジウムでは、Omics技術の発展によって得られる詳細な情報をいかに有効に活用し、臨床の場へ応用するか、個別化医療を実際にどのように進めるかについての多くの意見を拝聴した。また、中村祐輔先生も参加されており、中村先生が提唱されている「immunophamacogenomics」の重要性、とくにゲノム解読技術の革新によって非現実的だった免疫多様性の定量化を現実のものとし、それをがんの診断、治療へ応用することは、即座にも日本が目指すべきことだと強く感じ入る内容だった。

 会期中に、中村研究室の北海道地区同窓会に参加し、時野先生をはじめ多くの北海道におられる先生方と旧交を深めることができた。その中でも、私のグループに所属していた中村透先生、西館敏彦先生、植木知身先生、そして忙しい中、同窓会の幹事をされていた本谷雅代先生とは遅くまで昔話にはなをさかして盛り上がり楽しいひとときでした。皆さんそれぞれ指導する立場となり、昔とは異なる悩みも同じく抱えていることも共感を得ることでした。忙しい中をありがとうございました。


(45)2015. 6. 19
「第519回岩手泌尿器科談話会

2015.6.19に岩手医科大学泌尿器科講座教授の小原航先生と同大学名誉教授の藤岡知昭先生のご厚意で、本セミナーの講演の機会をいただきました。特に、藤岡先生とは10年以上のおつきあいであり、私が泌尿器科がんを対象とした研究を始めるきっかけとなった先生でもあります。今回盛岡に訪れたのは8年ぶりで、そのときは2月ごろだったことから「岩手=極寒」の印象だったのですが、今回は梅雨入り前ということもあり、非常に過ごしやすい気候でした。この談話会は519回をも迎える歴史あるもので、毎月1度開催されているということから、50年ほど前から開催されていたこととなります。1つの講座でこれほど継続されているセミナーはあまり聞いたこともなく、多くの知見を取り入れることに積極的である現れであると思います。同じ地方大学に所属する者としても感銘を受けました。

 当日の内容は「泌尿器科がんの克服に向けた新規分子標的抗がん剤の開発戦略」と題して、当研究室にて着目している分子DDX31を通じたp53の制御を中心に話をしました。泌尿器科がんにおいて、腎細胞癌ではTP53の変異の頻度は極端に低く、TCGAのNGS解析データによると約2%程度しかありません。一方、膀胱癌では50%以上の症例においてTP53遺伝子の体細胞変異が認められ、非常に高い頻度を認め、がん種によってこのような違いがあることを不思議に思っていました。今回はこの謎の解明につながる話をしたのですが、臨床的な観点からの皆様からのご意見をいただき、非常に有意義なセミナーとなりました。このセミナーには、以前中村研にて苦楽をともにした、高田亮先生や兼平貢先生、そして加藤陽一郎先生も参加してくれ、貴重なコメントをいただきました。ありがとうございました。また、昨年度末まで当研究室に所属していた松尾泰佑君にも会うことができました。このように、昔お世話になった先生、そして苦楽とをともにした仲間と会うのは本当にうれしいものです。今の自分があるのはその仲間によるものだということを再認識しますし、これからもさらに頑張ろうと言う気持ちになります。皆さん、忙しいときにお越しいただき感謝です。


(44)2015. 6. 17
「ピーキング

辞書によると、アスリートらが目標とする試合にて最高の能力を発揮できるようにコンディションを調整することをいいます。試合当日から逆算して、トレーニングスケジュールを綿密に立てるようです。プロ野球やサッカーなど、1年を通じ、長期にわたってのピークの維持は、この言葉にあてはなるかどうかわかりませんが、多くのスポーツは大きな大会が、1年、2年に一度、オリンピックやサッカーのワールドカップでは4年に一度ですから、そのピーキングは想像を絶するもので、その節制する気持ちの強さはその目標の大きさに比例するのでしょうが、並大抵のものではありません。しかし、非情なことに多くの選手は、ピークを当日にあわすことができないで終わる一方、一部の「超人」と呼ばれるアスリート、特に、記録を争うアスリートのうち、その代表例の水泳平泳ぎの北島康介選手や陸上競技のウサイン・ボルト選手は、このような大舞台にて世界新記録を塗り超える最高のパフォーマンスを発揮しています。彼らが、どのようなピーキングを行っていたのか非常に興味があります。

 今年も陸上の世界選手権が開催され、ボルト選手に注目が集まっているようです。ただ、彼も28歳となり、これまでの陸上選手のピークを考えると、今回がぎりぎりの年齢となるかもしれません。私が非常に印象に残っている彼の走りは、北京オリンピックの100mで、ゴール前10mぐらいから勝利を確信して、観客席に横を向きながら胸を張って誇らしげに減速してゴールした姿が忘れられません。その際の記録が9秒63でした。これまでの100m競技にて多くの選手が必死で走り抜けていた(当たり前ですが)映像とは全く異なるものでした。しかし、その次のロンドンオリンピックではゴールを駆け抜けて、9秒58の世界新記録を出していることを考えると、北京オリンピックの際に、全力で走り抜いていたらどんな記録だったのだろうと「たら、れば」の話ではありますが、考えたりします。ただ、このような完全なパフォーマンスができるのは、やはりピーキングが完璧であることからなのでしょうし、その成果としてムダな力のない走りとなっているだろうと素人ながらに思えます。今年の大会(もしくは来年のリオのオリンピック?)が彼の最大ピークとなることを願い、期待したいです。
 しかし、このように考えると、年単位でピーキングを行うアスリートに対して、試合が終わった直後、特にオリンピックにて試合を終えた直後に「次のオリンピックは?」と平気で尋ねる一部のマスコミの神経がわかりません。ただ、その質問に対しても「次も頑張ります」と答える超一流のアスリートもいるのには、頭が下がる思いです。

 私のような研究者のピークは人それぞれですし、ピーキングは論文を出すことや創薬することからの逆算となるのでしょうが、自分自身にピークがあるのか(あったのか)と思ってしまいます。まだピークに向かっていると信じて頑張るしかないのですが。。


(43)2015. 6. 16
 「日本がん分子標的治療学会の参加と大豆本君の優秀演題賞受賞」

2015.6.10-12に松山にて開催された日本がん分子標的治療学会に参加して参りました。徳島から約3時間半ほど高速バスに揺られて会場である松山全日空ホテルに到着しました。昨年の日本がん分子標的治療学会に参加した際にも記載しましたが、本学会はがん研究、特に分子標的治療薬の最新の情報を得ることができます。今回は、分子標的薬の最新知見に加えて、癌免疫療法の最新の動向も聞くことができました。東京大学の間野博行先生の基調講演「がんゲノムと分子標的療法」では、我々の身体は種々のドライバー遺伝子の異常により常に癌細胞は生まれてきているが、そのいくつもあるドライバー遺伝子の異常の特定の組み合わせによっては癌化、進展していく、いいかえれば、どんな組み合わせでも癌細胞が悪性化するわけではないことがわかってきたとのことでした。また、ALK融合遺伝子のような「横綱ドライバー変異」はそれ1つで癌化進展することから、多くのドライバー変異を必要とせず、ALK融合遺伝子を保有する患者は若年性で発症するが、一般のドライバー遺伝子の蓄積による多段階発癌を経るものでは、数十年必要とするいうお話は非常に興味深かったです。また、京都大学・iPS細胞研究所の山田泰広先生のYear in Review「iPS細胞技術を用いたがん研究」も非常に興味深い内容で、「ドライバー遺伝子異常をもった癌細胞の性質をかえることができるか、正常に戻すことができるか?」という内容で、EWS/ATF1融合遺伝子のドライバー遺伝子異常を有する悪性肉腫の1つである明細胞肉腫細胞に山中4因子を導入してもiPS化は起きないが、EWS/ATF1 融合遺伝子を制御した上で、山中4因子を導入すると肉腫細胞がiPS化されることから、ドライバー遺伝子異常に加えて、epigeneticな異常によるゲノムの不安定性が加わることが癌化には必須であることが述べられていました。また、分子標的治療の問題点としてコンセンスが得られてきている「耐性」について、どの分子標的治療も耐性との1セットとして切り離せず、このジレンマの克服に癌免疫療法との併用が今後は有効となるということでした。

 さらに、今回の学会でも嬉しい知らせがありました。大豆本君の演題である「膀胱癌悪性化規定因子である新規核小体蛋白質DDX31の機能解析」が優秀演題賞に選ばれました。これまで、大豆本君の前任者である布川朋也先生が証明した腎細胞癌細における核小体分子DDX31による正常型p53の不活化機構の証明に続いて、p53変異の多い膀胱癌の悪性化にもDDX31が関与することを証明したものです。この詳しい内容はpublication後にご紹介できればと思いますが、昨年に続いて当研究室の研究内容が広く認められたことは、私自身も非常誇らしいです。大豆本君もこの2年あまりの間、寝食忘れて、日々精進してきた甲斐あっての受賞です。大豆本君おめでとうございます。論文にするまではまだまだ気が抜けませんが、今のまま継続していってください。


(42)2015. 6. 15
 「日本選手権20連覇

室伏広治さんが今年の日本選手権のハンマー投を欠場するという記事です。20連覇って、考えられない記録で、アスリートとして、これほど長い間けがもなくトップで居続けることは並大抵の努力+才能が合わさっていないと無理ですし、彼も間違いなく「一握りの天才」です。この記録をネットで調べて見ると、1995年〜2014年までの連覇なのですが、さらに、「アジアの鉄人」と言われたお父さんの室伏重信さんが1974年〜1983年まで10連覇しており、この40年もの間、室伏親子がほぼ独占状態でありました。その記録をみると、2014年の日本選手権では室伏広治さんの記録は73m93、2位の記録が67m60でしたが、2位は1986年優勝の室伏重信さんの記録70m20よりも低いのです。この現実をみると、今回の欠場理由が後進が育たないためというのは納得できますし(室伏さんがいるために勝利する喜びを知らずに、この競技人生を終えた方もいるでしょうから・・・)、30年前の記録にまだ他の人が届かないこともあるのは、いかにハンマー投が難しい競技であるのかも表しているように思えますが、なんにせよ、とてつもない記録です。でも、来年のリオのオリンピックへの出場は来年考えると述べておりました。。。すごすぎます。。


(31-40)

(あくまでも、私(片桐)が個人的に思うことを綴っています)


(40)2015. 5. 16
「世に言う便利さとは

私は、研究室のHPの作成・更新にBIND FOR WEBLIFE(vesrion 1)というソフトを徳島大学に赴任してからずっと使用してきました。さすがに、このバージョンは今のOSには適合していないことから、古いiMacにインストールしたものを使用するという、少し面倒な作業としてHPの更新に取り組んでおりました。しかし、先日来、この古いBIND FOR WEBLIFEが、これまで作成してきたHPのファイルを全く認識しなくなり、HPの更新ができなくなりました。そこで、これを機にHPのリニューアルに取り組もうかと思い、最新バージョンのBIND FOR WEBLIFE7を購入したのですが、これが非常に難しい。ソフトの附属の本をみても全く頭に入ってきません。BIND FOR WEBLIFEのHPを見ると、新たな機能がいくつも追加されており、私の使用しているバージョンよりは遙かに使い勝手がよくなっているようです。

しかし、この「便利になった」という言葉は、私には年齢とともにどんどん「手に負えない」ものとなってきており、その便利さを十分に実感することがなくなってきている(実感することを拒否している)自分がいることに気がついてきています。これでは、手塚治虫さんの漫画の未来のような世界が来ても(もう来ていますが)、私は十分のその機能を理解できずに、昔のものの良さをただ主張しながら過ごすように思えます。

結局、このHPも新しいBIND FOR WEBLIFE7にて、前回のバージョンのファイルを一部を認識させて(大部分は壊れていて認識できないので)、1つ1つ昔のものをコピーして作成しました。ものすごい時間を要し、全く便利さを感じれませんでした。もう少し柔軟さも持ちつつ(気持ちの余裕をもって)、世の中の移り変わりについて行けるようにしたいとは思っています。


(39)2015. 5. 7
論文受理」

この度、金南希君を筆頭筆者とする論文が「PLoS One」に受理されました。おめでとうございます。苦節3年半、金君は私が徳島に来てから一番叱咤、叱咤、叱咤、そして激励した学生だったと思います。これまで基礎研究を行ったことが全くなく、また、歯学部に所属するという異なる背景で有りながら、がんの研究を進めることで戸惑いもあったこと思います。また、論理的に考える訓練を受けていないこともあり、研究成果の上がらない日々を過ごし、途中仕上げることは難しいかとも思った時期も有りましたが、「先生のところで最後まで頑張りたいです」との言葉を聞き、厳しく接しながらもいつも心配していました。ここにまとめることができ、安堵とうれしい気持ちです。厳しい言葉も数々言いましたが、私は博士学位を単なる儀式としてとらえるのではなく、科学的に考える能力をつけること、そして研究を進めることができる力をつけることをポリシーとしてしてきました。これで終わりとすることなく、ここまで頑張ってきたことを次の糧にしてもらえればと思うばかりです。

 論文の内容は、以下の通りです。当研究室では、これまでにERα活性化制御分子BIG3がERα陽性乳がん細胞の細胞質にて、ER活性抑制因子PHB2と結合し、そのE2依存性核内移行を阻害することで、ERαの恒常的活性化を導く新しいモデルを提唱してきました。しかし、このBIG3によるPHB2の核移行阻害の分子機構は不明でした。今回の研究では、核輸送タンパク質であるインポーチンαであるKPNA1,5,6を介したPHB2の核移行をBIG3はそのインポーチンαとの結合を立体構造的に阻害することでPHB2のE2依存性核移行を抑制することを証明したものです。

 本プロジェクトは、吉丸君の指導のもとで行ったもので、彼の力なしには成し遂げられませんでした。また、スタッフであった松尾君をはじめ、小松君、清谷君、そして同僚の支えがあってこその成果だと思います。感謝致します。本研究に多大なるご支援、ご指導を賜りました共同研究の先生方、医薬基盤研究所の水口賢司先生、Chen先生、とくしまブレストケアクリニック院長笹三徳先生、兵庫医科大学教授三好康雄先生、口腔顎顔面矯正学教授、田中栄二先生に心よりお礼申し上げます。


(38)2015. 4. 14
Laurent Desaubry博士来訪

2015.4.13に、フランスのストラスブール大学のLaurent Desaubry博士にJSPSの短期外国人招聘事業を通してお越し頂き、共同研究会議および第9回ゲノム制御セミナーを行って頂きました。セミナーのタイトルは「Development of novel anticancer agensts that target prohibitins and the translation initiation factor elF4a」で、これまでに細胞の生存、代謝、炎症に関連するシグナルを制御することが報告されているProhibitinsや翻訳因子elF4aを標的とした抗がん剤の開発について話をしていただきました。当日は多くの大学内の先生方、大学院生、学部生も参加してくれて盛況でした。Laurent博士は創薬科学が専門なので、私たちのようなゲノムバイオロジーとは全く異なる分野なのですが、当日は多くのbiologyに関する質問にも丁寧に答えてくれておりました。当研究室もprohibitinに相互作用する分子BIG3の解析からの創薬を目指していることから、共同研究を進めているのですが、創薬科学者の意見を参考にできるのは非常に有意義でした。

 私のイギリスの留学時代の同僚がフランスのストラスブール大学に勤務していることもあって、ストラスブールに留学時代に行ったこともあるのですが、非常にきれいな町並みで、研究の環境も整っており、そのときの話でも盛り上がりました。フランス人の英語はフランス語なまりで分かりづらい印象があったのですが、丁寧に話をしてくれました(たまにフランス語かと思うこともありましたが)。また、研究成果がまとまれば、こちらから訪問してみたいと思っています。


(37)2015. 4. 7
「また新学期を迎えて」

また、新学期の時期を迎えました。これでもう、徳島に来て7回目の新学期を迎えたことになります。いつもこの時期は、研究費の報告書や継続申請書の作成などに追われて、あまり新鮮な気持ちでということもなく、ドタバタで過ぎていくのですが、特に今年は、この3月末から4月に、研究室員の成果を農芸化学会、日韓がんシンポジウム、AACRと続いて発表することとなり、いつも以上に忙しく、うれしい悲鳴でした。特に、これまでとは異なる分野の先生方とのおつき合いを通じて、見識も広がり、有意義でした。また、この4月より奥村和正君がこれまで病院勤務のため毎夜と土曜日のみの参加だったのが、大学への所属となり、研究に専念できるようになりました。頑張ってください。そして、新たなメンバーとして、医学部生の瀧亮輔君も加わりました。今年は3名の大学院生が、それぞれ学位論文をまとめることになります。それぞれこれまで蓄積してくれたものを発展できるように頑張ってください。


(36)2015. 3. 1
「論文受理」

この度、吉丸哲郎君を筆頭筆者とする論文が「Cancer Science」に受理されました。吉丸君、おめでとうございます。本プロジェクトも、BIG3-PHB2相互作用を標的とした内分泌療法耐性依存性乳癌に対する治療薬開発研究の成果の1つです。抗エストロゲン剤タモキシフェンに対する耐性の機序として、多くは増殖因子・受容体の活性化とER非ゲノム経路のクロストークが臨床的にも言われています。BIG3-PHB2相互作用阻害ペプチド(ERAP)は、このクロストークによるシグナル経路も遮断し、完全にタモキシフェン耐性機構を抑制することが分かりました。より臨床に即した機序に対する機構を証明することができました。本格的に、この戦略にて乳がん患者さんに届けることように治療薬へと発展させていきたいと考えています。 本研究に多大なるご支援、ご指導を賜りました共同研究の先生方、とくしまブレストケアクリニック院長笹三徳先生、兵庫医科大学教授三好康雄先生、徳島東病院本田純子先生に心よりお礼申し上げます。今後もさらなる飛躍を期待しています。


(35)2015. 2. 2
「あけぼの会」

私が徳島大学に赴任してから、共同研究者であるとくしまブレストケアクリニックの笹三徳先生のご厚意により、徳島の乳がん患者さんの会である「徳島あけぼの会」に参加する機会を得るようになりました。私の師匠である現シカゴ大学教授の中村祐輔先生から骨の髄まで教えられた「患者さんのためになる基礎医学研究を」の思いをとげるためには、患者さんの生の声を聞くことが重要であることから、積極的に参加するように致しました。

 この「あけぼの会」とは、ワット隆子さんという方が、ご自身の乳がん発症を機に、乳がん体験者が集まり、その体験を生かして、癌に患い悩んでいる方々への一助となるべく、1978年に新聞紙上にてよびかけ、そして立ち上げた会です。現在は日本全国にその思いが広がり、2010年4月には全国36支部、そのうち徳島を含む13支部は自立運営を行っているようです。「あけぼの徳島」は乳がん患者会あけぼの会徳島支部より、2007年4月から、宮城慶さんを代表として独立運営をしています。あけぼの徳島は、1)乳がん患者の速やかな社会復帰をサポートする、2)乳がん体験者の立場から社会にむけて乳がん早期発見の重要性をアピールする、ことを目的としています。主な活動として、newsletterの発行や専門医による相談会、市民公開講座、会員の親睦会などを行っています。

 このような患者さんの会に、基礎研究者である私が、一年に一度講演をさせて頂き、現在行っている研究の内容、成果についてご紹介しています。私はもちろん診療を行うことはありませんので、患者さんとは接する機会はなく、また患者さんも私のような研究者と話す機会はないことから、私達と患者さんの間にある種の溝がようなものがあったように思えます。研究者って何をしているの?、患者さんはどのように治療、副作用、日々の生活について思い、感じているのか?など、この溝を埋めるべく、基礎研究の成果から、患者さんのもとで使用されている薬が作られていく経緯を説明することで、研究と言うものを理解して頂ければと思い、お話をしています。そうはいっても、本当に日々苦しんでおられる患者さんの目の前でお話することは非常に緊張します。皆さんから、一日も早く治療薬、診断薬を作ってほしいとの願いも目の当たりにすること、そして何より患者さんから直接聞くことがないとわからない、日々の心身の苦しみもお聞きすることができました。乳がんは他のがんと少し違い、再発のリスクの指標として最低10年を考えなければなりません。これは、長きにわたって薬を服用しなければならないことと、再発のリスクを思いながら過ごすことを意味しており、決して簡単なことではありません。その思いを前にして、自分の研究の話をするということは難しいことですが、単なる興味だけで行った研究、「がん」を研究材料とした研究ではいけないことを肝に銘じています。しかし、簡単に薬ができるわけでもないことも丁寧にご説明することが大切であることもよくわかってきました。

 もう1つ、年に一度「あけぼの会の新年会」にも参加しています。今年は2月1日(日)に開催されました。この参加も今年で5回目となります。がんの患者さんの集まりと言うことで、深刻な雰囲気かといったら、そのようなことはなく、ビンゴゲームやじゃんけんゲームなどいろいろな催し物に行い、非常に明るく、楽しい(このような言葉は語弊があるかもしれませんが)会です。また、皆さん乳がんにかかってから、日本舞踊や太極拳、唄などの習い事を一生懸命されている方も多く、そのお披露目会にもなっているようです。そのなかでも特別なイベントとして、乳がんを発症してから10年を迎える方を皆さんでお祝いします。皆さんこのときを迎えることを目指して、日々治療を頑張っていることを皆さんのスピーチで知りました。今回の私のテーブルにてご一緒した方々は乳がんを発症して1-3年ほどでしたので、日々のご苦労もありながらも、10年を迎えた方々をお祝いし、そして明るく振る舞っておられる姿にいつも心打たれ、逆に励まされています。彼らの思いに一つでも答えられるように精進しなければと思う毎日です。


(34)2015. 1. 23
「康楽賞受賞」

吉丸哲郎君が「ヒトゲノム情報解析による乳がんの癌化機構の解明と創薬研究」にて、徳島大学康楽賞を受賞しました。吉丸君おめでとうございます。徳島大学のHPをみると、康楽賞とは、育成事業を目的として第13世 三木與吉郎眞治氏によって1940年に設立された公益財団法人康楽会が、研究成果のあった本学教員、学生に対して贈与される賞であり、今回で64回目という由緒あるものです。贈与式当日は、研究室員みんなで、吉丸君の晴れ姿を見に行きました。私達は、賞を目指すために研究を行っているわけではありませんが、このように研究室員の成果が認められることは、研究の内容が認められたことであり、喜ばしいことで、今後の研究の発展にも結びつくものと思います。いつもの言葉ながら、これに満足せずさらに発展してくれることを期待しております。
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(33)2015. 1. 20
「犬・猿・雉」

あるテレビコマーシャルにて、桃太郎が鬼退治を向かう際に、どうして「犬・猿・雉」を連れているのかを問うものがあり、改めて確かに何故だろうとかと考えて見た。犬と猿はある程度その忠誠心や知恵のあることからかと想像できたが、「雉?」は何故かわからなかった。鷹や鷲ではだめだったのかとも思ったりもしたが、調べて見ると、十二支から由来する説や儒教的な考えで、猿=智、雉=義、犬=仁であるとか、岡山県の吉備地方にある吉備津宮の温羅伝説の、犬・猿・雉は、それぞれ桃太郎(=吉備津彦)の家来であった人の名前に由来しているのとかあるようでした。どの説にせよ、目標に向かっていくには、チームワークが重要であり、特に、それぞれに特性を生かすことも重要なことがわかる。こういったおとぎ話をじっくり聞き直してみると、時代を超えて継がれている話であるのは何かうったえるものがあるのと思う次第である。


(32)2015. 1. 10
 健康事情3「メタボ」

当研究室のHPを見ると明らかであるが、私は現代人の代表例のようなメタボ体型です。徳島に赴任後、最大99.5キログラムまで到達し、階段を上るだけでの息切れ、スーパーの階段をスキップして昇っただけでの肉離れなど、身の危険を感じたことから、ダイエットを敢行しました。いろいろな先生、友人の話を参考として、まずは食事量を減らすことだけで、お昼はそば、間食をしないという簡単なものでしたが、半年ぐらいで80キロ代となり、1年くらいで約16キロほどやせることができました。ただ、現在は、徳島の食材のおいしさにまけ、停滞しており、依然メタボ体型継続中です。最近、「赤井英和さん」のダイエットのCMを見て、少し筋肉をつけることも考えて、健康のためにも今年は再度やせたいと思っています。


(31)2013. 1. 5
「2015年 新年のご挨拶」

新年明けましておめでとうございます。 毎年繰り返しする挨拶ですが、さらに1年が経つのが早く感じています。昨年は公私ともにあまりよくなかったので、今年は心機一転、健康に留意しつつも、頑張っていきたいと思っています。これまで書きためてきたデータを一気に開花させたいと思っています。研究室一同、関係者の皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。

(21-30)

(あくまでも、私(片桐)が個人的に思うことを綴っています)


(30)2014. 11. 24
 「論文受理」

連続になりますが、この度、吉丸哲郎君を筆頭筆者とする論文がNature姉妹紙の1つである「Scientific Reports」に受理されました。吉丸君、おめでとうございます。本プロジェクトは、昨年発表したBIG3-PHB2相互作用を標的としたホルモン依存性乳癌の治療薬開発研究の発展型であり、慶應義塾大学の井本正哉先生、田代悦先生と理化学研究所の長田裕之先生との共同研究です。詳細は、後日述べたいと思いますが、現在BIG3-PHB2相互作用を標的とした治療薬の可能性について、本研究を含み、いろいろな方向から進めており、本論文はその序章です。そのほとんどを吉丸君が中心に進めてくれています。この戦略にて患者さんに届けることができる治療薬へと是非発展させていきたいと考えています。 本研究に多大なるご支援、ご指導を賜りました共同研究の先生方、とくしまブレストケアクリニック院長笹三徳先生、兵庫医科大学教授三好康雄先生、徳島東病院本田純子先生に心よりお礼申し上げます。また、研究室内では、前述の通り、動物実験にて本実験に貢献した小松正人君に感謝致します。


(29)2014. 11. 23
 「論文受理」

この度、松尾泰佑君、Let Tan Dat君、小松正人君の3人を筆頭筆者とする論文が「PLoS One」に受理されました。おめでとうございます。本プロジェクトは元々Dat君が「小細胞肺がんにおける骨転移機構の解明を目指し、骨転移腫瘍において発現亢進する遺伝子EGR4(early growth response 4) の解析」として開始したものです。研究の骨格をDat君が行い、その後を松尾君が引き継いでデータを積み重ね、最終的にはEGR4の小細胞肺がん細胞増殖機構への関与についてを小松君がまとめ上げた合作です。Dat君は、2009年夏に、前徳島大学呼吸器膠原病内科教授(現徳島大学名誉教授)曽根三郎先生および現徳島大学呼吸器膠原病内科教授の西岡安彦先生のご厚意により、私の研究室の立ち上げ時の研究協力として、研究室に参加したベトナム人の大学院留学生です。非常に温厚で、周囲の気遣いのできる性格であり、日本人にもまして努力を怠らず、研究に邁進してくれておりました。松尾君は、以前に述べたとおり、現在は岩手医科大学薬学部の助教として日々頑張っていることを耳にしており、本研究も推進してくれました。この成果が彼の将来に役立てばと思うばかりです。また、小松君は現在の私の研究室の主力メンバーで、次世代シーケンス解析、網羅的発現解析、細胞生化学実験、動物実験と全てをこなし、本研究もしっかりとまとめ上げてくれました。いつも言う言葉ですが、これに満足せず、さらに発展することを期待しています。 本研究に多大なるご支援、ご指導を賜りました共同研究の先生方、曽根三郎先生、西岡安彦先生に心よりお礼申し上げます。また、研究室内では、泌尿器科から研究参加している大豆本圭君が行ったpublic databaseを用いたゲノム解析が大きく本研究を支えました。心より感謝申し上げます。


(28)2014. 9. 12 
 健康事情2「老眼」

ここ数年、近くのものが見えないという典型的な加齢症状に悩まされています。私は、若い頃からろくに勉強もしなかったくせに近眼なのですが、メガネがあまり好きではなかったことから、コンタクトレンズを付けています(一日使い捨て)。しかし、コンタクトをつけているのに、近くは見えず、コンタクトをつけなければ遠くは見えないという典型的な「老眼」症状がでています。これには「老眼鏡」が必要となるわけですが、この加齢症状を認めたくないことから、かけることを拒否しておりました。しかし、最近、近くの小さな文字が見えなくなってきたこと、特に夜には見えにくいことから、やむなくメガネやさんに行ってかけてみたところ、驚くほど近くの文字がよく見えるではありませんか。少し鼻先にずらして老眼鏡をかけて、近くを見るときだけメガネを通して見ています。 現在、同年代の方々と話をすると、こういった老眼を含む「加齢に伴う症状」の話題が中心となります。寂しい限りですが、若い頃のイメージは変えないといけないことを痛感しています。


(27)2014. 9. 10
「論文の投稿・査読システムについて」

 もう2ヶ月ほど前に論文の投稿を数報行ったのですが、なかなか返事がかえってきませんでした。先日ようやく、1つのjournalからmajor revisionの判定で返ってきたので、その内容を筆頭著者、スタッフと協議をしました。しかし、このjournalの返信期間は迅速なpublicationを行うことを目的としていることから45日間という短いものでした。EditorおよびReviewerは、いくつかの解析の追加を指示してきておりましたが、その1つにマウスモデルを用いたin vivo解析を行えというものがありました。しかしながら、この短い期間で対応できないことは明白であり、それを受理の条件とすることは、受理する気はなく落とすのか、それとも無理はわかっているのでin vivo解析に代わる結果をつけろということなのかわかりません。多くのReviewerのコメントは,研究の不足しているところを指摘し、今後の研究に非常に参考になるのですが、受理の可能性が低いのなら、無理難題を指示するよりはいさぎよくrejectの判定をすべきだと思います。投稿者にとっては不本意ではありますが、他の雑誌への投稿の機会を早める、またしっかりと追加実験を行って洗練された論文として再投稿することができます。 現在のpeer reviewシステムは基本的にボランティアで成り立っていることを考えると、少しばかりreviewに時間がかかっても仕方がないかとも思っています。自分自身も多くの仕事を抱えている時に、Review論文を受けていることもあり、その時間配分にいつも苦労しています。ただ、正しいreviewをすること、受けることは研究者にとっては非常に重要なので、こういったReviewシステムからの質の良い査読についても、研究者の評価の1つとして加えるべきだと思っています。


(26)2014. 9. 8 
 健康事情1「胆嚢摘出」

2014. 8. 1に徳島大学病院で胆嚢摘出手術を受けました。昨年の健康診断で胆石があることがわかっていたこと、たまに上腹部の痛みがあること、10年来の胆嚢腺筋腫で、びまん性に肥厚していることなどを理由に、思い切って切除することを決断しました。内視鏡による切除術です。前日入院で、手術当日朝から腸内を空っぽして、お昼前ごろ、全身麻酔のための管を鼻にいれて(これが結構苦痛でした:写真)、手術に望みました。手術台の上に寝て、「すぐに眠くなりますから」と麻酔科の先生に声を聞いてから、目覚めるともう手術が終わっていました(2時間程度)。担当の先生から、摘出した「2個の胆石」を頂きました。小さなものでしたが、これが胆汁の通り道に詰まったりすると激痛が来ることもあるので、ばかにはできないものであることも説明頂きました。ご担当頂きました島田光生教授、居村先生、池本先生、山田先生には、改めてお礼申し上げます。 その日はさすがに手術直後ということもあり、上腹部の痛みを感じていたのですが、それも翌日にはほぼなくなり、ホッチキスを打ったような3つの小さな傷跡の痛みと、へその痛みが少しある程度で体調は良好でした。結局、その2日後には退院し、食事も通常通りとることができ、今は手術前と何ら変わらない日々を過ごしています。臓器1つを取り去ったとは思えません。また、後の病理所見にて、悪性腫瘍も認められないと診断も頂きました。 私は基礎研究者ですので、基礎研究分野の技術革新も目覚ましいことをわかっており、その技術の取り入れによる研究推進も意識しております。一方、臨床医療においても、現在の臨床の先生の間では当たり前のことでしょうが、一昔前だったら、大きく開腹する胆嚢摘出術1つにしても技術が進歩していることを身をもって実感しました。以前、大学病院にて、金山先生のご厚意(もちろん許可を得て)により、手術支援ロボット「ダヴィンチ」による手術を見学させて頂きましたが、医療分野の開発も目覚ましいものが有ることを実感しています。また、少しだけなのですが、手術の際の患者さんのお気持ちも、こういった体験により理解し、その気持ちをmotivationにできればと思っている今日この頃です(たいしたことないと叱られそうですが)。


(25)2014. 7. 28
 「洲本市健康大学講座」に参加して

2014.7.26に兵庫県淡路島の洲本市にて、洲本市健康大学講座にて一般市民の方への講演を行って参りました。今年で35回を迎える会で、洲本市の健康への意識の高さ、特に最近言われている「健康寿命」への意識の高さがわかります。私は、がんの患者さんにお話することを年に1,2度行ってきているのですが、一般市民向けはあまり経験がありませんでした。講演当日は、開校式も行われ、本講座の名誉学長である竹内通弘洲本市長さんをはじめ、洲本医師会副会長の高橋雅彦さんのご挨拶もありました。「人類が幸せをもたらす科学の進歩」をテーマに、11月29日まで全13回の講座が開講され、多くの徳島大学医学部の先生方の参加となった今回のの第1回目が私の担当でした。参加者は40代から90代の方まで参加されて熱心に聴講されている姿に、いたく感銘致しました。 一般の方々へ話する場合には、大学内で学生に話をする時、学会、セミナーにて研究者を相手に話をするときとは異なり、いかに研究に触れたことのない方へわかりやすく話をするのかを留意しているのはもちろんですが、平易にすることばかりがよいことではないことも実感しています。特に、私は「がん」について話をすることがほとんどなので、その話の中に出てくる言葉にも留意しています。私のHPにも記載しているとおり、今や2人に1人は「がん」に罹患する時代です。聴講者の中、さらにそのご家族にも「がん」にかかられている方が少なからずいます(講演終了後に、よく聴講者からご自身やご家族のご病気のお話をおききします)。実際に悩まれている方々のお気持ちを考えると、単に教科書の記載されている言葉をつかって話をすることはできません。 特に、がん研究、医療の話をする際には「予後」や「生存期間」という言葉がよく使われます。私はあまりこれらの言葉が好きでありません。できる限りこういった場では、使わないようにしています。また「難治性」という言葉もよく使われるのですが、この言葉を実際に患者さんが聞くと非常につらい言葉となると思います。講演するのに、ここまで気を遣わないといけないかどうかは、ひとそれぞれだと思いますが、自分自身に置き換えれば、単なる研究の内容として話をすることはできないと思っています。

(24)2014. 7. 15
 「尾野雅哉先生 セミナー」研究室風景12

2014.7.14に国立がん研究センターの尾野雅哉先生にお越し頂き、第8回ゲノム制御セミナーを行って頂きました。タイトルは「プロテオーム解析システム2DICALを基盤とした医学生物学研究の将来展望」で、プロテオミクスの基礎から、2DICAL(2 Dimensional Image Converted Analysis of Liquid Chromatography and Mass Spectrometry)の開発に至った経緯、そしてこの方法による多くの成果について、1時間半ほどたっぷりとお話して頂きました。特に、これまでに多くの蛋白解析が、解析標的タンパク質を精製、高純度化することで、その解析精度を上げることを目指してきましたが、2DICALは精製度は低くてもよく、むしろCrudeのままでバックグラウンドをあえて含むことで、それを多検体間の内部標準として多くの変化を観察することができる利点があります。そして多検体を扱うことができることにより、サンプルの経時的な変化を見ることで、精度を高めることができます。尾野先生とは私が徳島に赴任して間もなくに知り合い、それから網羅的蛋白解析について今も共同研究をして頂いています。糖鎖研究にも造詣が深く、基礎医学者として尊敬する元外科医の尾野先生のお話は、基礎研究の話だけではなく、医学も目指す者の志しもお話して頂き、是非とも多くの医学部生、大学院生にも聴講させたいものでした。本当にありがとうございました。


(23)2014. 7. 8
 「日本がん分子標的治療学会の参加と吉丸君の優秀演題賞受賞と島礼先生の研究室でのセミナー」

2014.6.25-27に仙台にて開催された日本がん分子標的治療学会に参加して参りました。その報告です。仙台は久しぶりだったのですが、見た目には大震災から復興しており(実際にはいろいろなところに未だ影響は出ているのでしょうが)、特に、駅前の賑やかさは徳島とは異なり(比べることが事態おかしい)、政令指定都市の大きさに圧倒されました。 日本がん分子標的治療学会は、がんの分子標的治療薬についての最新の情報を入手することができます。二日半ほどの期間ですが、がん研究の一線でご活躍の先生方から最新の標的治療薬の開発状況や臨床応用の情報をReview形式で詳細に聞くことができます。今回は、慶応大学の佐谷秀行先生から「がん幹細胞を標的とした治療戦略」と題して、CD44の同定から詳細な基礎研究、そして現在治験まで臨床応用されていることや、癌研の旦慎吾先生の、PI3K阻害剤基礎的知識から臨床開発近況までのReviewは非常に参考となりました。このような知識や知見を自ら調べるには相当な論文や情報を読み解くことが必要ですが、時間の限られていることもあり(実際にはサボっていることもあり)、知識の再構築にはもってこいの学会です。また、Reviewされている先生方も良く存じ上げていることもあり、気さくにお聞きすることも可能なことも、非常に有益な学会です。

 今回この学会で嬉しい知らせがありました。吉丸君の演題である「エストロゲン受容体制御分子BIG3を標的とした新規ER陽性乳がん治療法の創製」が優秀演題賞として受賞されたことです。これまで、がん特異的機能分子であり、エストロゲンシグナル制御の中心的役割を担うBIG3分子の機能解明を進めてきたのですが、BIG3を標的とした治療法が、ER陽性乳がん、特に内分泌療法耐性乳がん克服への道筋を開いたことが認められたことに、私自身も非常に嬉しく思います。寝食忘れて日々精進してきた甲斐あっての受賞です。吉丸君おめでとうございます。これに満足することなく、さらなる飛躍を期待しております。吉丸君のりりしい授賞式の写真姿はこちらです。

 最終日である2014.6.27の夕方に、宮城県立がんセンター研究所の島礼(しまたかし)先生の研究室にご訪問して、セミナーをさせて頂きました。タイトルは「新しいホルモン依存性乳がんの細胞増殖機構の発見と新規治療薬開発をい目指して」です。非常にアットホームな雰囲気の研究室で、フランクに話しができ、上述のBIG3の内容の新たなデータについて多くの助言を頂くことができました。ありがとうございました。当日は中村祐輔研究室時代にご一緒しておりました三浦康先生もご多用の中ご同席頂き、非常に懐かしいひとときを過ごすことができました。ありがとうございました。 島先生は非常に気さくなお人柄で、全く異なる分野である私のような者にも、詳細に実験についてご説明いただきました。本当にありがとうございました。 余談ですが、宮城県立がんセンター研究所は仙台からJRで数駅の「名取」と場所にあります。当日は島先生が駅まで迎えにきてくださいまして、その道中、名取での唯一?の観光名所である(島先生からのご説明では)「紫式部の源氏物語に出てくる光源氏のモデル」であった「中将藤原実方朝臣(ふじわらさねかたあそん)」のお墓に連れて行っていただき、観光案内して頂きました。藤原実方朝臣は非常に遊び人だったそうで、ときの天皇に怒りに触れて、中将をやめさせられて、陸奥守としてこの地に飛ばされてきたということでした。
藤原実方朝臣のお墓2014-06-27 15.20.33.jpg


(22)2014. 7. 6
 「井本正哉先生 セミナー」研究室風景10 

ご紹介が遅くなりましたが、2014.6.20に慶應義塾大学理工学部の井本正哉先生にお越し頂き、第7回ゲノム制御セミナーとして「ケミカルバイオロジーに基づく創薬研究」についてお話して頂きました。ケミカルバイオロジーは化合物を利用して生命科学現象の解明および疾患原因の解明を行う研究を言いますが、この分野の第一人者です。井本先生とは、2008年の日本がん分子標的治療学会でのあるセッションの座長としてご一緒してから、私の研究内容についていろいろご相談、ご助言をいただきまして、現在も共同研究をして頂いています。 当日のセミナーはケミカルバイオロジーとはなんぞやという基礎的な内容から,化合物を利用したがんを対象としたシグナル経路の解明につながるアプローチや創薬の可能性について詳細にご説明頂きました。特に、化合物投与によって現れる現象を詳細に観察し、その表現型に対して可能性のあるシグナル分子、経路を絞り込むアプローチは、分子機能から表現型へのアプローチする私には非常に参考となりました。特に、私は気さくな井本先生のお人柄に惚れ込んでいるのですが、先生の研究への情熱に刺激を改めて受けました。また、学生の教育にも力を注がれていることもPIとして非常に参考となりました。本当にありがとうございました。


(21)2014. 5 .23
 「水口賢司先生 セミナー」 研究室風景9

2014.5.16に、医薬基盤研究所の水口賢司先生にお越し頂き、「バイオインフォマティクスによるシステムの理解から創薬へ」というタイトルにてセミナーを行って頂きました。水口先生はタンパク質の立体構造をアミノ酸一次配列から予測する方法の開発やタンパク質相互作用の予測法開発を創薬を見据えてすすめておられるバイオインフォマティックス研究の第一人者です。私が徳島に赴任して間もなくに知り合いの先生にご紹介頂き、タンパク質相互作用阻害によるがんの創薬を目的とした研究で、これまで共同研究を行ってまいりました。当日のセミナーは私のような数理解析が得意でない者にも、非常にわかりやすくお話頂き、特に創薬におけるバイオインフォマティクスの現在の位置づけ、その重要性と今後の可能性に疑いの余地がないことを再確認しました。当日は多く学内の先生方や学生さんが聴講に来てくださり、徳島大学にもこのような部門の必要性を改めて感じました。 余談ですが、水口先生のご略歴を拝聴したところ、ロンドン大学のバークベック校結晶学科(X線によるDNA結晶構造決定を行ったRosalind Franklin博士の在籍していた研究所)に在籍されておられたとのことで、私も留学時代に同校の研究室に行っていたことから(時期がすこしずれていましたが)、なつかしいロンドンの話に弾みました。改めて狭い世界であることを感じた次第です。

(11-20)

(あくまでも、私(片桐)が個人的に思うことを綴っています)


(20)2014. 4 . 24
 「論文セミナー」

当研究室では、毎週担当者が最新の論文を熟読して紹介する「論文セミナー」を行っています。1時間(発表30-40分、質疑応答20-30分)ほどかけて、論文の背景から結果の図表の意味、結論の導き方、論文の流れや方法も含めて、論文の筆者がどうしてこの研究をはじめ、着眼したか、また何を主張したいのかや不明な点、疑問点を明らかにすることにより、論文を読み解く力、見識を高め、強いては各自の研究に役立つことを目的としています。このイベントは、研究室開始から行ってきていますが、終了したセミナーに関してこれまで記録に残していませんでした(レジメは準備して各自に配布しますが)。しかしながら、せっかく担当者が気合いを入れて準備、紹介しているものですので、今学期より記録を残して、HPに記すことと致しました。有用な情報となるように活用してください。研究室外で、論文セミナーに参加ご希望の方は、片桐までご連絡下さい。


(19)2014. 4 . 16
 「成熟した車社会」 

4月4日から10日まで,米国サンディエゴにて米国癌学会(AACR)に参加してきました。当研究室のメインとなる学会の一つですので、研究アピールと情報入手をかねてです。学術的なことは後日述べれればと思いますが、サンディエゴにて日本とは全く異なる車文化があることを感じました。 日本では、歩行者が横断歩道を渡る際に、右折や左折で待っている車側の気持ちを考えてでしょうが、多くの方は小走りに渡ろうとします(見ます)。また、車側も早く進みたいので、早く横断してほしいという心理(歩行者が高齢者やお体のご不自由な方やお子様の場合には、もちろん別として)が働いているように思えます。 これが、サンディエゴで目にした車のほとんどが全く急ぐ様子もなく、信号機のない横断歩道でも、ほぼ100%の車が少しでも歩行者がいるのがわかると動かずに、歩行者がわたるのを待っておりました。また、その車から「イライラ」としたオーラも感じず(私だけでしょうか?)、歩行者もゆっくりと歩いていました。私などはサンディエゴでも、運転手さんにご迷惑をおかけしないようにと、どの横断歩道でも小走りになっておりましたが、全くその必要のないことに気づきました。このような気持ちがあれば、もう少し優しい車社会となり、交通事故も減少するのではないかと思えました。 ただ、こういったアメリカ(サンディエゴの?)の人間心理に「成熟さ」を感じた反面、信号機が異常に短時間で変わることに驚きました。15秒ほど?、おそらく30秒はないように思え、この時間ではとてもお年寄りは横断し切れないと思います。これは日本では考えられないことです。結局、どちらの社会が「成熟」しているのかわかりませんが、ただ、もう少し気長に考える「成熟さ」は必要であると思った次第です。


(18)2014. 4 . 1
 「門出と新体制」

特任助教の松尾泰佑君が平成26年3月31日付けで退職し、岩手医科大学薬学部へ異動しました。以前にも述べましたが、松尾君は私の研究室の立ち上げメンバーであり、研究室の基礎,骨格を献身的に築き上げてくれました。これまで長い間本当にありがとうございました。今回の異動は、松尾君から将来を見据え、研究以外に教育にもより関わるポジションに赴きたいとの希望からでした。松尾君の新天地での活躍を祈るばかりです。 特任研究員の石田真由美さんも同日退職し、高校教諭としての新たな道を歩み始めました。石田さんとは1年ほどでしたが、緻密な実験の取り組み方、特に実験の再現性という生命科学研究で最も重要な点について様々な角度から取り組んでくれました。これは私にとっても非常に良い経験となりました。石田さんの新天地での活躍も祈るばかりです。 このように研究室を支えてくれた方々が卒業することは,うれしさと寂しさとが混ざった複雑な心境です。各人が将来を見据え、前進していくことは非常に嬉しい反面、その進むべき方向のためになるように、それまで十分な指導、そして環境を与えてあげられたのかと反省もしています。 今年度から、木村竜一朗君が特任助教として新たに研究室に加わりました。これまでの研究室に関わってくれた方々が蓄積してくれたものをさらに発展できるように、新たな気持ちで「研究に没頭」し、これまで以上に良い成果を上げていきたいと思います。

(17)2013. 11 . 11
「サンキューランプ」

車ネタをもう1つ。脇道などから車道に出る際に、交通量が多いと、なかなかタイミングよく出て行くのは難しいものです。自分が車道にて直進している場合には、なるべく減速して車を入れてあげるように心がけています(何台もなると、後続車にも迷惑になるだろうから、ほどほどですが)。この場合、よく入れてもらった方が、ハザードランプを2,3回点灯して「ありがとう!」という意思表示をすることがあります。路線バスなどはバス停から車道に戻る場合によく行っています。私は、これを見せられると、穏やかな気持ちになります。人間、お礼を言われると嬉しいものです。私はこのような行為によって、前の車をあおったりするような危険な運転や暴走運転、しいては交通事故も減少するような効果が少しはあるのではと思っています。 このような状況を鑑みて提案したいのですが、「サンキューランプ」を車に搭載するのを義務とするのはいかがでしょうか。現行だと、クラクションによってお礼を言う場合もありますが、適度な音をならすのが難しかったり,大きな音になるとかえって気分が害したりもします。また、対向車として道を譲る場合には、昼間だと手を挙げて感謝を示すのですが、気づかなかったり、夜だと全く見えません。上述のハザードランプを点灯すことは基本的に非常事態をしらせるものです。それでは、どんなランプにするかですが、「ありがとう」と文字や音声がでるのは、美的感覚がないといやがられるかもしれませんから、ハザードとは異なる色のランプを車の前後左右に設置して、三回程度、ゆっくりと点滅するというのはいかがでしょうか。このような要望はどこに言えば、かなえられるのでしょうか。車を開発している方、この文面を読んでいたら(読んでいるはずないでしょうけど)、是非ともお願い致します。


(15)2013. 11 . 6
「ウインカーステッカー」

徳島では、ほとんど公的交通機関を利用しないことから、東京に住んでいた時には考えられなかったマイカー生活を送っています。このマイカー生活、非常に楽なのですが、車の中という閉鎖空間にいると些細なことが、かんに障ったりします。その一例として、以前も述べました「ウインカーを事前に出さない」車に遭遇することがあげられます。交差点の右折レーンにて、対面の車がウインカーを出していないことから直進してくるのだろうと、じっと待っていると、急にウインカーを出しながら曲がっていきます。全く交通の流れを無視しています。このような方は、信号待ちの間にウインカーを出していることが恥ずかしいのかなあと思ってしまいます。 このような状況を鑑みて提案したいのですが、「ウインカーステッカー」を車のリアウインドウに貼ることを義務づけるのはいかがでしょうか。「曲がるとき、事前に必ず意思表示」とでもサブテーマをつけてウインカー点灯運動を起こせればと思います。例えば、運転免許更新の際に、ウインカーを出す重要性を説き、ウインカーステッカーを配布してはいかがでしょうか。このような要望はどこに言えば、かなえられるのでしょうか。警察関係の方、この文面を読んでいたら(読んでいるはずないでしょうけど)、是非ともお願い致します。


(14)2013. 10. 9
 「論文の受理」

この度、松尾泰佑君を筆頭筆者とする論文が、「International Journal of Oncology」に受理されました。松尾君おめでとうございます。前の「日々思うこと」に記載しておりますが、彼は私の研究室の立ち上げメンバーであり、これまでに研究者として、社会人としての心構え、日頃の所作まで最も厳しく教えてきました。この5年間本当にそれに答えてくれました。その意味でも非常に感慨深いです。今回は彼のサブテーマでしたが、乳癌細胞増殖における新しい糖転移酵素の役割解明を行ったものです。メインワークも佳境にさしかかっていますので、これに満足せず、さらに発展することを期待しています。 本研究に多大なるご支援、ご指導を賜りました共同研究の先生方、笹三徳先生、三好康雄先生に心よりお礼申し上げます。また、研究室内では、小松君、吉丸君、シカゴ大学に移動した清谷君の支援での成果でした。感謝致します。


(13)2013. 10. 2
「徳島に来て、早5年」

徳島大学に来て、満5年が経ちました。いい意味でも、悪い意味でも、「もう5年」です。
 私は大学院修了後、徳島→東京→ロンドン→東京→徳島と移動してきたのですが,現在、東京の次に長く居住していることになりました。東京から徳島へは一人きりで赴任してきたこともあり、研究室の立ち上げと運営のことに頭がいっぱいで、不安と期待の入り交じった日々を過ごしていました。縁あって、現特任助教の松尾泰佑君が、博士課程の学生でありながら、研究室員第一号として参加してくれ、研究室の立ち上げ、特に実験手技の確立に力を注いでくれました。その半年後、ポスドクとして吉丸哲郎君(現助教)が参加し、泌尿器科の金山博臣先生のご厚意により、布川朋也君が大学院生として参加し、彼らの寝食忘れたハードワークによってなんとか研究室の骨格ができました。彼らとともに、これまで私が中村祐輔研究室にて培ってきた多くの経験をもとに、「ゲノム解析を通じたがん特異的分子の機能解析を通じた癌増殖機構の解明と創薬」をテーマとして船出しました。さらに、その一年後に、留学生のLe Tan Dat君、現助教の小松正人君が大学院生として、その後、今はシカゴ大学へ移動した清谷一馬君が理研から助教として参加し、彼らが主となって,網羅的発現解析、次世代シーケンス解析を立ち上げ、発展させてくれました。また、歯学部口腔顎顔面矯正学分野の田中栄二先生の教室の大学院生の金南希君の参加、兵庫医科大学の三好康雄先生の教室から特別研究学生として柳井亜矢子さんの参加、そして現在のメンバーとして、理研から石田真由美さん、泌尿器科より大豆本圭君、柳井さんの後継として宮川義仁君が来てくれています。技術補佐員として、河上さん、古関さんも加わってくれました。 こう述べると順調にこの5年が過ぎたようですが、決して順風満帆とは言えるものではありませんでした。研究成果に関してはようやく少しずつ出てきていますが、未だ十分なものとはいえませんし、そのため上述の研究室員にはより高いところを目指すために叱咤激励のつもりが、日々叱咤ばかりだったかもしれません。ただ、ここまできて言えるのは、目標を成し遂げるためには、それを成し遂げるんだという強い気持ちとそれを継続する力、そして上司と部下,研究室員ががともに目標に向かって一体感をもつことが必要であることを実感しています。さらに、全員が「礼儀と思いやり」と「想像力」を兼ね備えた人間力をつけることでより良い成果を生み出すと確信しています。今後もまだ、些細なことにも厳しいことを言うと思いますが、さらに上を目指すためにお互いに頑張りましょう。


(12)2013. 10. 1
 「論文の中身 吉丸君の論文の研究内容の広報
<大学HP:吉丸君の論文の研究内容の広報>

(11)2013. 8. 15
 「論文の受理 」
この度、助教の吉丸哲郎君を筆頭筆者とする論文が、「Nature Communications」に受理されました。吉丸君おめでとうございます。地道にデータを積み重ね、寝食を惜しんで取り組んだ成果です。今回の研究内容の詳細は改めて報告しますが、新たなエストロゲンシグナル制御を通じた内分泌療法耐性乳癌に対する治療薬の開発につながる成果です。 本研究に多大なるご支援、ご尽力、ご指導を賜りました共同研究の先生方、中村祐輔先生、笹三徳先生、三好康雄先生、水口賢司先生、村上洋一先生、井上豪先生、溝端栄一先生、宮野悟先生、井元清哉先生、山口類先生に心よりお礼申し上げます。また、研究室内でも、小松君、松尾君を主とした研究室員全員の支援があっての成果でした。感謝致します。

(1-10)

(あくまでも、私(片桐)が個人的に思うことを綴っています)


(10)2013. 4. 1
「一区切りと新体制」

助教の清谷一馬君が平成25年3月31日付けで退職し、シカゴ大学医学部へ異動となりました。「同じ釜の飯」を食べた仲間としては、わずか2年ほどでしたが、寝食を惜しんで、次世代シーケンス解析による新たな癌関連遺伝子の同定に取り組み、「研究に没頭」した期間だったと思います。今回の旅立ちは、清谷君にとっても、私にとっても大きな決断でしたが、さらに上を目指して、大きく飛躍してもらいたいと思うばかりです。
 4月1日となり、新年度に入りました。理化学研究所より、石田真由美さんが学術研究員として新たに加わり、小松正人君が新しいスタッフとして助教に就任致しました。新たな気持ちで「研究に没頭」し、これまで同様頑張りたいと思います。


(9)2013. 2. 4
「徳島医学会賞」

 この度、小松正人君が「トリプルネガティブ乳癌におけるプロテアソーム関連因子PAG1による新規増殖機構の解明]という演題にて、平成24年度冬期の徳島医学会賞を受賞されました。小松君、おめでとうございます。この徳島医学会学術集会は、今回で264回という、恐ろしい位の回数を数える学内の学術集会で、医学部の教授就任講演会をはじめ、多くの徳島大学医学部の発展ならびに徳島県の医療に貢献している方々の発表の場となっています。今回の受賞はよい励みになることと思いますが、ここで満足することなく、さらなる発展を期待しております。


(8)2013. 1. 10
「時間を感じる感覚の経年変化」

新年の挨拶で記載した「1年経つのが早く感じる」を説明する法則があるようです。クイズ番組で知りました。19世紀の哲学者のポール・ジャネが提唱した「ジャネーの法則」で、「心理的な時間の長さは年齢に反比例する」というものです。ウィキペディアを見ると、「50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する」とありました。科学的な根拠はない感じですが、私も何も知らずに新年の挨拶に述べるぐらい毎年言っていますので、心理的には納得はいきます。このような時間を感じるセンサーが経年変化することを分子レベルで説明できないもの(できている?)でしょうか。


(7)2013. 1. 4
「2013年 新年のご挨拶」

新年明けましておめでとうございます。
毎年誰もが言っていることかもしれませんが、本当に1年経つのが早く感じます。この1年間有意義に過ごしてきたのかを反省しつつ、今年も頑張って研究に専心したいと思います。まずは、なによりも健康第一です。向上するためには、ハードワークも必要ですし、適度のプレッシャーや緊張感も必要だと思っていますが、まずは体力、そして気力を充実することが重要だと思います。そして、今年の目標は、研究室員が日々精進し、ようやくまとまりつつある成果を世に出すことです。研究室一同、関係者の皆様、本年もどうぞよろしくお願い致します。



(6)2012. 12. 11
「少数精鋭」

私の研究室のHPのトップに以前記載していた言葉ですが、辞書をしらべると、「人数は少ないが、すぐれた者だけをそろえること」と意味が記載されていました。
 研究とは離れた話になりますが、私の好きな黒澤明監督の映画「七人の侍」は、まさしく「少数精鋭」の活躍を描いた物語です。毎年穀物の収穫の時期に野武士に襲われる農民達が侍を雇うことで、野武士から村を守るというストーリーです。時代背景は戦国時代で、この頃は腕利きの侍がたくさんおり、戦のたびにこういった侍がかり出され、侍も自分の腕を試す戦をさがしていた時代だったようです。村を野武士から守るために、農民達が腕利きの侍を捜しに行くというところから映画ははじまります。
 農民は侍を雇うための「米」をもって町に出て、自分たちは「粟や薭」を食べながら侍を捜します。その農民の姿を見て、一人の侍が立ち上がり、七人の侍を結集します。この時代、農民を助けたからと言って誰かにほめられるわけではありません。また、「米」といった食料ほしさに侍が動く時代でもありません。苦しむ農民を助けるため、自分の腕をためすため、侍としての誇りをかけて、七人の侍が立ち上がり野武士と対峙します。野武士を倒すため、農民を守るためにたてる戦略など、見応えいっぱいで、時を経た今でも決して色褪せていない映画です。まさしく、「少数精鋭」です。
 この言葉が当てはまるにはもう少し精進が必要なのですが、戦国時代を生き抜く、誇り高き侍のごとく研究に邁進したいと思っています。


(5)2012. 11. 30
「想像力」

昔から非常に気にしている言葉の一つで、研究者としてだけではなく、一社会人としても非常に重要だと思っています。自分の言動が、どのように人に影響を与えるかを想像することは、社会生活では非常に重要です。しかし、昨今、この「想像力の欠如」としか思えないことを目にします。例えば、車の運転に関してはこれが顕著に観察されます。左折や右折をする場合には、事前にどちらに曲がるかを知らせるために、ウインカー(指示器)を示す必要がありますが、これを曲がる瞬間に出す方がいます。これは全くの想像力の欠如です。対面している車、横断歩道をわたる歩行者、後ろに列する車に、どちらに曲がるのかという情報を事前に与えることにより、危険を未然に防ぐことができ、また交通もスムーズとなります。
 我々のような基礎研究者が研究に取り組む際も、この「想像力」がないと新たな発見は生まれないと思っています。固定概念や思い込みにより、想像力が遮られていることが多々あります。「あり得ない」と思う気持ちをぐっと抑えて、あらゆる角度から想像する、可能性を考える(仮説をたてる)ことが必要です。確かに、それらは徒労に終わることの方が多いのですが、少しの重要な変化を見逃さないためにも、常に想像する力を養うことが必要です。研究成果をプレゼンする際にも聞き手側の気持ちになって考えること、HPの研究方針にも記載している病気に苦しむ患者さんのことを考えて基礎医学者として目指すものは何かを考えることも「想像力」の一つです。私も、まだまだこの力が足りないのですが、基礎研究者は日々の生活から「想像力」を鍛えることが必要だと思っています。


(4)2012. 11. 7
「論文の受理」

この度、小松正人君、吉丸哲郎君の筆頭著者の論文がInternational Journal of Oncologyに受理されました。小松君、吉丸君、おめでとうございます。網羅的発現解析によるトリプルネガティブ乳癌発症、進展に関与する分子および治療標的分子の同定についてまとめた論文です。乳癌組織からマイクロダイセクターを用いて何ヶ月もかけて癌細胞、正常細胞を丹念に採取し、マイクロアレイ解析を行ったものです。非常に地道な実験ですが、私の研究室の根幹となる研究です。このような臨床検体を用いた網羅的発現解析データは、非常に重要なevidenceが詰まっていることを最近改めて感じています。がん細胞中で、特定の分子が高頻度に発現亢進あるいは低下するという現象が無意味に起こっているわけはなく、その現象の意義をどうとらえるかだと思っています。
 また、報告が遅くなりましたが、9月24日に布川朋也君の論文もCancer Research誌に受理されました。布川君、おめでとうございます。こちらの論文は、「研究内容」にも記載しておりますが、p53変異の少ない腎細胞がんにおける新たなp53不活性化機構を解明した論文です。ここで解析した分子も、腎細胞がん臨床検体を用いた網羅的遺伝子発現解析から同定しました。
 さらなる飛躍を目指して、研究室員一同今後一層精進致します。
 本研究に多大なるご支援、ご尽力、ご指導を賜りました共同研究の先生方、特に、TNBCの解析では、笹三徳先生、三好康雄先生、宮野悟先生、中村祐輔先生に、腎癌細胞の解析では、金山博臣先生、尾野雅哉先生にお礼申し上げます。


(3)2012. 10.29
「powerpoint病」

最近ちょっと注意している言葉です。私も今の職業についてから、学生さん、研究者の方々、臨床の先生や一般の方々に、偉そうにも講義や講演をしています。その際に、聴衆をほとんど見ないで(反応無視で)、powerpointで作成したスライドのみをみて話、講演をすることを言うそうです(powerpointがないと話ができない人も指すようです)。
 話す側としては、スライド作成の準備に非常に時間を割きますので、これでももちろん、内容が良ければ、私はよいとは思っています。特に、私のような研究者は、自分のデータの説明するためにスライドが絶対に必要となります。しかしながら、聴衆の理解度という観点から考えると、必ずしもスライド枚数とは相関しないことがわかりました。特に、一般の方への講演の時は顕著です。また、スライド作成時には、おもしろくなるようにちょっとした余談を入れたりして、悦に入っているのですが、スライドだけをみて話をすると期待するほどのリアクションは返ってきません(単に自分のプレゼンの悪さかもしれませんが)。今はよいスライドを作成して(よいデータを出して)、それを使用しつつ、できる限り聴衆の反応を見ながらわかりやすく話をするように心がけてはいます。


(1)2012. 9.26
「「途方もない大きな夢」をもちつづけ、それを達成するための地道な努力を忘れずに」

平成24年度 がん若手研究者ワークショップに実行委員の一人として参加し、そのプログラム・抄録集のプロフィール欄の「若手研究者諸君へ」に記載した言葉です。実際は、若手の研究者に送る言葉としてだけでなく、自分自身に対しても、いつまでも思い続けたい言葉です。